3年後の『魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』と『君の名は。』

気がつけば早いもので『まどマギ叛逆の物語』から3年*1近く経っている。2013年は宮崎駿の『風立ちぬ』や高畑勲の『かぐや姫の物語』とジブリの重要作品が公開された。他にも今や話題の新海誠言の葉の庭』も公開された年であり、単に売上だけで見た話であれば、『レッドタートル』では『君の名は。』には太刀打ちいかない状況であり、アニメ映画の業界地図が一気に書き換えられてしまったように見える。それでも『レッドタートル』は素晴らしい作品であり、鈴木敏夫がこういった状況を考えていなかったとは思えないし、広々とした劇場で『レッドタートル』を体験できたのは一生の思い出だ。そんな今とどうしても思いを寄せてしまう2013年。自分のアニメ史にとって一番重要だったのは紛れもなく『まどマギ叛逆の物語』だった。

初めて『まどマギ』と遭遇したのは、2011年冬アニメとしてスタートしたテレビアニメ枠だった。テレビ版に関しては好きっちゃ好きだけど、2010年代アニメにおいて群を抜いて優れていたかといえばそうではないと思うし、ウテナオタク的には『輪るピングドラム』にもっていかれた感じがある。そして2年後の劇場版『叛逆の物語』。その年のベストにするほど好きな作品になった。ブログに何回わけのわからない酷い文章を書いたか困惑するほどだ。背景などの美術を見ても多重のレイヤーが魅力的で画面を見ているだけで楽しめたが、いちばんは「物語」に惹かれていた。実写でいえば『天使のはらわた赤い教室』や『忘れじの面影』など、“すれ違い”をテーマにした悲しい物語。オールタイムベスト映画でもあり、同時にトラウマ映画にもなりうる殺傷力の高い優れたアニメーション映画だった。なぜ2016年の今になって『叛逆の物語』の話をしているかというと、絶賛公開中の『君の名は。』ですれ違いが描かれていて少し思い出してしまったからだ。

すれ違いをテーマにした作品は基本的に好きなのだが、『秒速』以前の新海誠作品はどうしても生理的に合わなかった。なぜかは知らないが『君の名は。』ピッタリとハマってしまったようで傑作だなと思ったし、最後に「2人を遭わせてあげて!」と心から祈っている自分がいて気持ち悪いほどだった。これまで幾度もすれ違いを描いていた人が最後遭わせてしまうんだ、といった驚きもあったのかもしれない。ただ『君の名は。』においては、「2人はどうやら入れ替わっていたらしい」といった事実のようなものは存在しても、三葉が瀧に、瀧が三葉に、再会しなくてもその繋ぎとめる何か(第六感のようなもの)を感じていれば、誰でもよかったのではないか?といった疑問もある。それくらい狙ってずらされたり、誘導されたりした映画なのでは?と思ったのだ。三葉と瀧は互いにどこかにいる誰かを想う。それが誰かなのかはわからない微々たる記憶に似た第六感のようなもので引きずっている。まるで初恋のように。

それだけに「救い」のようなラストシーンでは感情移入してしまうだろうし、自分も含め救われたと思うだろう。『言の葉の庭』以前では考えつかないような巧みな技術によって自らのフィールドに呼び込んだと少し嫌味ないい方だが、そんな風に言ってしまいたくなる。その技術は脚本でもあるし、キャラデザやアニメーション技術にも言いかえができるだろう…と、ここで『君の名は。』の話をし続けると長くなるので強引に『叛逆の物語』の話に戻すとする。『叛逆の物語』でぶったまげるのはどこぞのインディーズ作品かよと思うほど、最後まですれ違いし続けること。すれ違いを選択してしまうキャラの強度にぶったまげた。暁美ほむらの願いは、鹿目まどかが普通に学校に行って普通に生活をすること。そのうえで彼女と改めて出会い、友達としてスタートしたいと願っている。彼女を死なせない(魔女にしない)一心で彼女は何度も何度も繰り返し、そのたびに失敗をしてきた。暁美ほむらにとって鹿目まどかはかけがえのない唯一の友達のようなもの。しかし、鹿目まどかにとって暁美ほむらは少し前に転校してきた友達のひとり。

テレビシーズで鹿目まどかは願いを叶え初めて「最高の友達だったんだね」と答える。暁美ほむらからしてみれば、「やっとまどかに理解してもらえた」のかもしれないが、暁美ほむら鹿目まどかの認識は大きな隔たりがあることがわかった一言でもある。神になったまどかはすべての時間・場所を認識することで、暁美ほむらがやってきたことを知る。ただ「知る」ことであって、それを体験したわけではない。単なる「記録」を彼女を見ているにすぎないのだ。だから沢山の「記憶」を抱えた暁美ほむらとは、「記録」と「記憶」の大きな隔たりがあった。そして『叛逆の物語』は暁美ほむらの最後の物語だったといえよう。神に叛逆し悪魔に堕ちてしまった暁美ほむら。彼女のためなら、何にでもなれると。最後のあの空間はいわば、ほむらが遮断フィールド内に閉じ込めれていたように、まどかの記憶の一部をひっぺ返し同様に彼女のフィールドに捕らえたのだろう。ただちょっとしたキッカケで彼女はまた悪魔に救いの手を差し伸べてしまうかもしれない。

君の名は。』を見ていたら、暁美ほむらはいつまで独りで抗うことのできない運命と共に生きていくのだろう、と悲しい気持ちになった。そこに肉体はあったとしても、心では通じ合うことができない。ひたすら暁美ほむらの深層を掘っていった作品なのに通じ合えない。たまたま入れ替わった女の子をどこかで求めて心が通じ合ってしまっている『君の名は。』と、並べてみるととても残酷な作品だなと思うのである。あれから3年。もうこれ以上暁美ほむらが傷つく姿を見たくないので続編はやってほしくないですが、これからも何度か見返して勝手に傷ついてしまうのだろうな…。

*1:10月26日で3年経つ