「鎧武」と「アルドノア・ゼロ」に見られる虚淵玄の作家性

仮面ライダー鎧武』の43話と『ALDNOAH.ZERO』9話を見ていて、特に前者が物語の終盤に差し掛かり、虚淵玄の作家性が濃密に出てきたことで、簡単にまとめておくことに。

まず、虚淵玄が関わる作品として、「まどマギ」の10話を見てわかるように「実はこんなことになっていました〜」と、それまで謎だった伏線の回収がとても上手い。日曜に放送された「鎧武」43話では、一話に鉱汰がライダーになる寸前で登場した舞にそっくりな金髪の少女が登場した。正直これまで何度か登場していたが、この少女が何を意味するのか、本当に出す必要があるのか?と、本編の面白さと複雑さに目隠しされ、そう言った演出を度外視して見ていたので、まさか暁美ほむら的な使い方をするとは思っても見なかった。舞は黄金の果実との一体を自ら選び、超人的な力を取得した。ただ、ここでは現実での舞は凌馬の手術によって、黄金の果実と一体となった心臓を摘出され命を落としている。「まどマギ」に置ける、まどかのように、身体はなくなったものの、概念(一歩手前か)のような存在となる舞。彼女は「悲しい結末にならないように、精一杯やってみる」と暁美ほむらのように、過去にさかのぼり、未来を変えようとする。しかし、彼女が過去の人物と干渉することで、こうなってしまった未来への道筋を与えてしまったことを知る。*1


まどマギ」での暁美ほむらも何度も繰り返しているうちに、まどかを中心に因果を束ねてしまったので、ほむらの願いとは虚しく回を重ねることで、まどかを最強の魔女にしてしまっていたことを知る。「鎧武」の結末がどうなるか、まだわかりませんが、先日発売された『Fate/plus 虚淵玄Lives【解析読本】』の樫原辰郎氏の「鎧武」評で虚淵玄の作家性について、こんなことが書いてあった。

「自分自信のテーマをある程度繰り返しながら、集大成的な作品を何度も書く作家がいる」

と、ウィリアムフォークナーや大江健三郎やらを虚淵玄の作家性と重ね合わせていた。彼のこの評で書かれているように、虚淵玄は、香港ノワール功夫、フィリップKディック、ハードボイルドと言ったような映画や小説から受けたインスピレーションを自分の作品へオマージュさせていたりすることが多い。しかも、それを何度も自分の作品で引用することで、自分のものへと昇華させるというスタイル。そう言ったスタイルを今回の鎧武では、特に彼の一番のメジャー作品「まどマギ」から頂戴している。それと、ヘルへイムの森の果実を食べることで怪人に変身してしまうという流れ、怪人の造形などは、『ブラスレイター』っぽい。特に、43話で戒斗が生きるか死ぬかのギリギリの呪われた身体で、果実を食べ、自我を残しながら怪人(オーバーロード)になるのは、『ブラスレイター』のオマージュ。そもそも、ブラスレイターがライダーのオマージュなので、オマージュのオマージュという構造。

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こういった作家性を見せつつ、彼は自分の意志で条理に抗うような人々を書いている。圧倒的な力の差で、敵に恐怖を見せるのが、「アルノドア」(略称)の火星vs地球の構造。個人の能力の差はともかく、圧倒的な多勢に無勢な状況だった『鬼哭街』でも妹の敵討ちでその条理に抗う。「まどマギ」だったら、ワルプルギスの夜という絶望的な敵との抗争。それに、魔法少女の運命を変えてみせるというまどか。「サイコパス」にしても犯罪係数の干渉を受けない人物と敵対するなど、どう考えてもその世界の中では敵無しといった状況下、戦い抜く人々を描いていることが多い。
鬼哭街 (星海社文庫)

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「アルノドア」は原案(脚本も?)だけなので、どこまで虚淵氏の作家性が反映されているかわからないが、15年前種子島で起きた火星人の侵略によって鞠戸の親友が殺されるシーンが、これまで不明瞭だったが、9話で鮮明に映し出される。ここでは、親友だったジョン・ヒュームレイが火だるまになるなか、殺してくれと懇願し親友を助けれられず銃で撃ち殺してしまうシーンがあった。

これは、「まどマギ」10話で使われた、ほむらとまどかの関係性に近い。

また、こういった自分の親しい人物が無情にも目の前で殺される・死んでいくというのは、「サイコパス」10話でも描かれていた。(この回は本当に凄かった)


こういった残酷な選択、条理に抗う人々、オマージュを何度も繰り返すことで形成される作家性が虚淵玄の根底にあるんだろうなーと「鎧武」と「アルノドア・ゼロ」を見ていて思った。

簡単のつもりが、長文になり過ぎたので辞めますが、現在放送されている「鎧武」「アルノドア・ゼロ」に関しても虚淵玄の作家性が濃密に詰まっており、次にどういったステージに上がるのか楽しみになる作品でした。そろそろ「鎧武」終わりなので、結末まで楽しみにしてましょ。

Fate/Plus 虚淵玄 Lives 〜解析読本

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*1:また、残酷なのがサガラが何度も言うように「自分の意思で決めた」ことだろう。魔法少女になるのも自分の意志だったし、「鎧武」の世界でも全ては自分の意志で決定される。しかし、そこには誰かの悪意があるとはなかなか気づけない。そんな残酷さがある。