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2018年上半期新作映画ベスト
- リズと青い鳥
- それから
- パディントン2
- 霊的ボリシュヴィキ
- 苦い銭
- デトロイト
- フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法
- サバービコン 仮面を被った街
- 恋は雨上がりのように
- トレイン・ミッション
恒例の上半期ベスト。『リズと青い鳥』がよかったのはどちらがリズで〜、青い鳥で〜、ということが未来永劫のことではなく、入れ替わる可能性を示唆しているところだろうか。現時点の山田尚子最高傑作じゃないかな。音響による空間の立ち上げがすごかった。特にタイトルまでの長いオープニングがやばい。音響もヤバいけどショットが厳格だからこそって感じ。アニメだと『名探偵コナン ゼロの執行人』も面白かった。ステレオタイプにコナンに求められるすべてが入っていたんじゃないだろうか。来年はキッドが出てくるようなので楽しみ。ホンサンスは上期中に『それから』しか見られなかった。ホンサンスは時系列をむちゃくちゃにしようが常に「現在」だけ撮っているのがいい。残りの新作3作早く見たい。
擬似家族モノといえば『万引き家族』がパルムドールを取ったけど、面白いのは冒頭くらいでそこから停滞していく。それよりも『パディントン2』。「混ざり合う」ことを回転運動によって画面に躍動を持たせ持続させていたのがよかった。デタラメ度でいえばなぜそこに金をかけた?と悩ませるほどオープニングが意味わからなかった(時間を重層的に提示しているのだろうけどあまり効果的ではないと思う)『トレイン・ミッション』がよかった。結構ギリギリの線だとは思うが野心的。それと『サバービコン』。人種差別という大きな物語の隣で起こる小さな物語(計画殺人)。また大きな物語と小さな物語が交差することなく無意味に繋がってしまって(子供同士のキャッチボール)終わる上品さがいい。
ひさびさに黒沢清で面白かった『予兆』の脚本家こと高橋洋『霊的ボリシュヴィキ』。顔の映画であり、映画が身体となりっていう。上期はあまり新作ホラーを見れなかったので下期にたくさん見たいところ。ワンビンはさすがというか、これって一応ドキュメンタリーの体制なんだよな〜と思いつつどのショットもキマってて素晴らしい。夫婦喧嘩しているやつとか、はさみ持って職場をウロウロするやつとか面白い人間がたくさん出てきて単純に面白かった。ドキュメンタリータッチといえば『デトロイト』最初の暴動で黒人が店をぶっ壊して自転車を盗むシーンがワイズマンみたいで興奮した。
小松菜々のアイドル映画『恋は雨上がりのように』。小松菜々なので何でもサイコーじゃんってのはあるんだが厳密に計算されて演出していて好感が持てた。『フロリダ・プロジェクト』は「子供=予測不可能」ということが運動に現れていてよかった。中盤意向から怪しくなってくるんだけど、最後子供が泣き出してディズニーに連れて行くというくだりはキツい。子供が大人な行動(予測可能)をしてしまったらそれは面白くない。だって子供でなくてもいいから。目配せはあってもディズニーは最後まで外部に放置するべき。
漫画原作映画であると『咲』がなかなかだった。『ちはやふる』も悪くなかったが意図がまったくわからない光の扱いが目に痛い。ハレーション起こしまくりだし無意味にアヴァンギャルド。それとスローモーションもキツい。ただ原作の強さだろうか、面白かったのも事実。『犬ヶ島』は想定内だったというか、ピンとくるものがなかった。『ピーターラビット』はギャグと運動の掛け合いが連動していないんじゃないかな。運動を伴うギャグではなくてギャグで笑わせている感じ。それならテレビでもいい。あとCGによるものなのかキャラクターと場(空間)に差異がないに等しい。画面がツルッツル。照明なのか編集(グレーディング)が悪いのか仕事してない。
案外悪くなかったのが『パシフィックリム・アップライジング』。たぶん、半年後には忘れ去られそうな内容なんだけどその軽さがいい。何が一番いいってファンからは総スカンらしいけど、前作であったオタクっぽさが皆無なんだよね。オタクっぽいフェティシズムの目配せってのが一切ない。その清さがいいんだよね。
最近見た映画まとめ
最近といえば転勤があり引っ越しが忙しく前回のエントリーで書いたようにアニクリさんに寄稿した文章以外ほとんど手付かずだった。映画自体あまり見れていないのですが、少しでも見た映画について短文で。
- 高橋洋『旧支配者のキャロル』
これは映画学校の卒業制作設定? すでに見てから一ヶ月程度経っていて設定を忘れたのだが、主人公が監督に抜擢され中原翔子にしごきを受けて精神を病み始めたり、障壁にぶつかったり…といった内容。松本若菜が売春をするために男を見つけたシーン。「私を買ってください」までの流れがスマートで素晴らしかった。
今のところ新作ベスト候補。圧倒的にすごかった。『聲の形』(2016)と同様に牛尾さんが音楽を作っていてそれが最高にいい。サントラだけでも十分な価値があるのだけど、映像と組み合わさることで空間が浮かんでくる。外部を完全に外に追いやり内部を追求して作った作品といったものだろうか。しっかりと書きたいなという反面で凡庸なことしか書けなさそうで断念している状況。山田尚子の作家的な側面、またそうではない側面から整理して書いてみたい。
- 岩澤宏樹『心霊玉手匣constellation』
本シリーズは3作目4作目が心霊ビデオ史上で見ても素晴らしい作品だった。特に4作目の様々な視点と時間軸が組み合わさった瞬間は凄まじかった。シュミット『デジャヴュ』(1987)のあの振り向いた瞬間と似たような感覚があった。そんな期待の中、最終作を見たわけだが、つじつま合わせで作りましたって印象でつまらなかった。「constellation」なのであらゆるものがつながってしまうということは百も承知であるが、わざわざつなげる意味を見出せないし、金がかけられないのもわかるが「元気玉」的なシーンで適当に音楽を流し生まれてもないエモーションに回収させようという魂胆がダメ。4の視点と時空のつなぎはどこに行った。
シャイニングステージが最高だった。それ以上に面白いのは最後に全うも言えるメッセージ(ゲームを労働に見立てたと考えて)が「リア充」とか「オフパコ」のような言葉に回収される感想が目立ったことだろうか。だってリアルでおばさんが殺されているからね、強制労働で人が死んでいるし全うなメッセージだろう? ただそれをムカつくメッセージに見せてしまうスピルバーグの趣味悪なテクニックだったのだなーと。
これは面白い。見るまでは『トゥルーマン・ショー』(1998)的な「実は街はホンモノではありませんでした」オチなのかなと思っていたが、予想とは全く違う方向の映画だった。白人しかいない街にある日黒人が入居者としてやってくるのだけど、そこからデモというか強烈な嫌がらせが始まってくる。しかし実は人種差別されている隣の家でこの映画の事件が起きる。面白いのは隣同士の家でおいて直接的にやりとりするのは子供達だけということ。人種差別の物語は外側にあり続け、一定の距離を保ち続ける。『トゥルーマン・ショー』とは違うものであるが、照明演出など、確かに作りものっぽさが追求されていたなと。
多分昨年の『女神の見えざる手』があるから余計に退屈させられたのだと思うけど、ポーカーやロシアンマフィアなど特殊な職業柄の人がたくさん出てくるのに職業的なものはいっさい撮られていない。だから賭博モノなのにサスペンスフルな時間を演出できない。あるのは「ドーン!」といった衝撃を少し持ってくるだけ。脚本も本当にアーロンソーキンが作ったのか? というくらいぬるい。『スティーブ・ジョブズ』(2015)のキチガイっぷりはどこに行ったのだろう。
- ジュリアス・オナー『クローバーフィールド・パラドックス』
どうやら一作目の前日譚といった話だったらしいのだが、正直なところ「これは一体何の話なのだろうか?」といったことが終始続いてしまった。怪獣が出てくるわけでもなく宇宙船でのトラブルを描いているのであるが、これが全くサスペンスフルな時間を演出するかといえばそうではなく、「エリザベス・デビッキ背が高いな〜」とどうでもいい感想しか出てこなかった。
- ショーン・ベイカー『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』
『タンジェリン』(2015)が面白かったので期待していたのだが、期待を遥かに超えてきた。再鑑賞して個別エントリーを書きたいと思っている。先ず子供の扱い方がいい。「子供=自由奔放」であり、予測できない行動をする。興味は次から次へと映ってくるので前のカットに未練はなくバッサバッサと過程をぶった切って「事」だけを撮っていく。モーテルとその街という撮り続け、外部(ディズニーランド)へ視線を向ける。内/外のバランスがいい。ロケ地がいいのでそれが映える。ただあるところから物語が顔を乗り出してきて一時的にぐっとスピードが落ちてくる。そこから持ち直す一連のシークエンスはあるのだけど、それとラスト数分がとても残念な結果だった。ただ力はある監督なので今後も期待したい。
- クレイグ・ギレスピー『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』
実際に起こった事件を元にしているといった話らしい。小学生の頃だったのでほとんど覚えていないのだけど、聞いたことがあったようにも思えるし知らないようにも思える。スケートがダンスしていない。結局「事実」はなんだろうか? はたまたその事実をどう扱っているかにしか興味がないのだろうか。面白くなかった。強いて言えば気の狂った妄想狂のデブと雇われた襲撃犯のキャラクターが面白かったくらいだろうか。
- タイ・ウェスト『サクラメント 死の楽園』
何年か前に見逃していてネトフリにあったので。POVやフェイクドキュメンタリーとしては新しみは全くないが、フェイクドキュメンタリーも方法論的なものが確率されており、お手本となる技巧的な映画だった。何よりも教祖がガチでヤバいやつで本当に死ぬとは思わなかったんだな。面白かったっす。
『アニクリvol.8.0 終わりを「旅」する少女』への寄稿について
久々の告知です。アニクリ06ぶりになりますが、5月6日(日)の文学フリマで発売されるアニメーション批評誌アニクリ『アニクリvol.8.0 終わりを「旅」する少女』号にアニメ『少女終末旅行』に関する論考を寄稿いたしました。
『崩壊する都市、懐かしい風景、終末を旅する少女』というタイトルです。内容はnagさんが綺麗にまとめてくれているのでそちらを抜粋。
概要:全てが崩壊した場所からみれば、過去はいつも新しく、未来は常に懐かしい。筆者が回顧する寂れた商店街の風景は、「本当にこれは私の記憶だったのだろうか」という問いに晒される。記憶は常に、実際には体験していない記憶が呼び覚まされたものかもしれない。他の誰かの記憶かもしれない。しかし、そうであっても構わない。なぜなら、それはまさに他者の記憶を垣間見、自らの予兆を形作り、時に心躍らせるものだからだ。記憶を記録することとはこうして、他者の記憶を自らに浸透させる過程となる。水が歌い、光は踊り、ネジがジャンプし、鉄の塊はその身を震わせる。一粒の水滴が水たまりに弾けて音楽を奏でる。夕日の光線はラジオの音と同期して彼女たちのリズム(周波数)を震わせる。「この旅路が私たちの家ってことだね」の言の通り、一瞬は永遠となり、旅は終わるまでは終わらず続くのだ。
記憶/記録のモチーフ、風景、音響といったことから『少女終末旅行』がどのような作品であったのか? とったことを読み解いたものになります。そのため、作品に新しい価値観を与えるような文章ではありません。作品のことを書いた文章になっています。1万字程度です。
コミックzinあたりでも通販されると思いますが、時間がある方は文フリまでお越しいただければと思います。私は当日いけませんが。また次号は今話題の『リズと青い鳥』や山田尚子にスポットに当てた号になるらしく、興味のあるかたはアニクリをのぞいて見るといいと思います。
ではよろしくお願いいたします。
後にも先にも忘れ去られそうな映画とは――『名探偵コナン ゼロの執行人』と『パシフィック・リム アップライジング』
先に断っておくが「後にも先にも忘れ去られそうな映画」とは別にこれから対象にする映画についての悪口で書いているわけではない。では何なのか? といったことは置いておいて先に後世に残りそうな映画とは何なのか? 例えば名作といわれる映画。ジョン・フォードの『駅馬車』(1939)、ハワード・ホークスの『リオ・ブラボー』(1959)などの西部劇。それともF・W・ムルナウの『サンライズ』(1927)やグリフィスの時代までさかのぼるの――あまりにも名作の対象が多すぎてあげたらきりがないのは承知の事実だ。対して歴史から忘れ去られた映画もあるだろう…(※この辺りは蓮実重彦が批評家として行ってきたことを振り返ってみればいい)と、続けても長くなるだけなのだが世の中には金をかけて映画を作り派手な広告を打ってもフワフワと宙に浮いてしまい人の記憶に残らない映画も数多く存在する。
『名探偵コナン ゼロの執行人』は国際サミットを控えた東京の会場がテロに合うといった事件から幕を開ける。おそらくパソコンなんてエロサイトの検索しかしなそうな毛利小五郎がテロの犯人として浮上する。見つかったのは会場のドアに焼き付いた指紋だった。会場の誰もが犯人ではないと思うだろう。誰かにハメられたのだと。物語は観客を一切裏切らず、いつも通りに展開し、コナン君のいわゆる「トンデモ」アクションに身をゆだねるのである。IoTといったトレンドワードを使用しながらも、気がつけば「正義とは何なのか?」といった普遍的テーマに落ち着いているのがまさにヒーロー映画たる安定感を持続させるのであろう。でなければ22作も映画なんて作れるわけがない。「数撃てば当たる」といった言葉や森山大道の「量」といった言葉が思い浮かぶ。
例えばコナンで名作といわれる『時計じかけの摩天楼』や『ベイカー街の幽霊』といった作品と比べ本作が優れているか? と聞かれたらそうではないのであるが、22作という圧倒的な量に対して悪くないといったところだろう。ただ何年後かに振り返った時にほとんどの人が忘れている映画だと思う。映画で語られることがとても保守的なことが関係しているのだろう。いつ見ても同様のテーマがコナンにはある、といった安心感。極めつけのトンデモなアクション。声優は時代とともに変わってしまっても映画は変わらないのである。
そして『パシフィック・リム アップライジング』。見る前から前作好きだった人から総スカンされているらしいといったことを知り合いから聞いていたのだけど、それもそのはずだと思った。というのもあんまりオタクっぽくないんだこの映画。『パシリム無印』では巨大ロボットが怪獣と戦い世界を救う。仲間との絆。必殺技の存在。何よりもフェティシズムの対象として巨大ロボットが存在していた。特徴を持ったロボットに特徴をもったパイロット。デルトロのバックボーンがそのまま出てきたかのようなオタクな映画だった。しかし本作はそういったフェティシズムをあまり感じられない。確かに自作したスクラッパーという小型のイェーガーが出てきたりするのだが、最初と最後にちょろっと出てくるだけだし、その娘のドラマもたいした演出もされないまま軽薄に終わっていく。
時間の都合上IMAX3Dで見たのだが、映被写体にカメラが近く前景/後景の二つに分けドンパチをダイナミックに見せるといった演出がされる。結局のところこれが視野を狭くしてしまいとても凡庸な作品にとどまる。ようはここでも世にあふれかえった似たり寄ったりの映画を生んでいるということである。スピルバーグ『BFG』のように大小の差異をハッキリと提示してみることはせず、巨大なロボがここにいる!と瞬間的に見せているだけで決して戦いの中でその大小を演出してみせない。
お金をかけて最新鋭の映像技術を使いながらも、これだけの凡庸な映像づくりここまで軽薄なドラマ展開に心が軽くなった。いわばオタク的な「俺らの」といった主張が完全に消え去り、いとも簡単に記憶から抹消されそうなブロックバスタームービーに姿を変えたのがとても清々しい。ジン・ティエンがどんどん美人になっていくように思えるのはどんな魔術がかかっているのだろうか。確かに綺麗だが。
ここで書いたのは人々の記憶に残らなさそうな映画の話である。文句のようなことを書いているが、どうだったかといえば見ている間はそれなりに楽しかった。私は毒にも薬にもならなそうなこの軽さが好きだ。ポップコーンムービーというと語弊があるかもしれないが、家で横になって何も考えず映画を見るということもいいもんじゃないだろうか。といいつつ色々なことを考えてしまうのだが。最後に来年のコナンは怪盗キッドが出てくるとのこと。サイコーなヤツ期待大。
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スティーヴン・スピルバーグ『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文章』(2017)
重要機密書類はいとも簡単に持ち運ばれてしまう。それは密会する部屋にて複製され「最高機密文章」の文字は切り取られ新聞社へ運ばれる。今の時代というか、私自身がここまで仕事に精を出したことがないのでまったくもって新聞社のゴリゴリな風土は理解しがたいのだが、各人が新聞というひとつの目標を目指していくこと。そしてそれが繋がれていく――リレーのバトンのように――といった映画だった。ただどうだろうか? 接続されることに対してもちろん切断――映画でいえば政府や法律など――が出てきていたが、それがサスペンスを生むかといえば、そうとも思えなかったのである。
ここからは単なる印象論に落ち着いてしまうが、どうも切断/接続といったリズム――つまり緊張/弛緩――がチグハグさを生んでいたように思った。たとえば冒頭付近で蛍光灯の光から(飛行機の)窓の外の光へ繋がれるというカットがあったが、そこから妙に違和感を感じる。『ブリッジ・オブ・スパイ』であれば前衛的ともいえるような過度な照明が綺麗な接続として機能していたと感じられたし、『宇宙戦争』でいえば「光」が恐怖として描かれていた。意図したショットが機能として活きている…いうなれば普通のことかもしれないが、スピルバーグは的確にその演出ができたはずだ。
盗聴されないように幾つもの公衆電話を使いながら慌てて小銭を落とすシーン。機密文章を届ける謎の女(やたら胸を強調して撮っている)。何度もメイルストリープの家を訪れるトムハンクス。足を机の上にあげたり、態度がデカいトムハンクス。巨大な装置として恐怖を与える印刷機、そして不穏な黒電話。さすがに面白いシーンはあるのだが、「責任の重さ」という精神的課題(切断)と新聞紙という物質的な軽さがかみ合っていないように感じられた。接続が快楽に達する前に切断されていく――ある種それもひとつのリズムなのだろうが、個人的なバイタルと合わなかったのかもしれない。
ただ前段で書いたように装置を怖く描いてしまうというのはスピルバーグならではのように感じられたし、エンドクレジット前の引き際のそれまでとは明らかな差異があるような嘘っぽいシーンと好きなシーンはそこそこあったのでよかった。
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松尾昭典『ゆがんだ月』(1959)
芦川いづみのアイドル力が半端ない。自分が芦川いづみファンだからそう見えるのかもしれないが…。しかし芦川いづみのかわいさはいつの映画を見てもまったく古びない。例えば古い映画でかわいい女優さんを見たときにちょっと化粧が古臭いとか、眉毛が細い、太い、などファッションの流行があり、多少なりとも古臭いかわいさがどの映画にもつきものだけど芦川いづみにはそれを感じない。『ゆがんだ月』では芦川いづみは長門の兄貴の妹といった位置づけで、本人はヤクザ者ではなく曲がったものが大嫌いで長門に説教をたれるのだけど、長門はもうメロメロになっちゃう。
初めて神戸に降り立った芦川いづみの異物感は本当にすごい。その場がパッと晴れやかになり、まるでこの世のものとは思えない。本人は天然なんだけどあっという間に長門を虜にしてしまって、気がつけば長門は東京へ…。兄貴の法要(かな?)で長門が彼女の家にいったとき許婚の男が登場して長門はハートブレイク。完全にもてあそばれてしまっている。天然って怖いね、ほんと。長門はもともと南田洋子と付き合っているのだけど、芦川いづみに惹かれる長門を見てあんなかたぎと付き合える分けない、住んでる世界が違うんだと忠告されるんだよね。でも、南田も長門に首ったけなので追いかけていっちゃう。不意に現れたっ南田を見て長門も抱いちゃうんだよね。だらしがない男の話なんだよね。だから甘い夢見て制裁が下されるわけ。そんなこんなで最後には必死になって南田洋子を助けようとするんだよね、それじゃ遅いって話なんだけどたぶん丸く収まっちゃう。
何の話だっけな? そうそう『ゆがんだ月』の話なんだけど本当に面白かった。姫田真佐久のカメラはキレキレでロケーションもいいからかっこいいショット連発。神山繁の殺し屋も雰囲気がとてつもなくいい。何がいいって神戸から東京へ逃げた長門を殺すために雇われているんだけど、口笛を吹いて登場するの。ハワード・ホークスの『暗黒街の顔役』でもあったかな? って思ったんだけどどうだったかな。必死に路地裏に逃げる長門、逃げ切ったと思って一息ついた瞬間に横にある鏡を見たときに神山繁がドン!って待っているのね。ほんと痺れるねこれ。明らかに長門より走っていなきゃ回りこめないのに先に待ってるのだもん。映画の嘘がクリーンヒットするんだよね。こういうのが見たいんだよ!
その殺し屋も変わっていて、一方的な殺しは趣向とあわないらしく相手に拳銃渡して決闘スタイルで殺すって変わった手法をとる。でもあっけなく長門に殺されちゃうわけ。そのあっけなさもいい。最後までかっこいいキャラでありながらね。あとこの時代の映画でよく見るトルコ風呂ね。ここで性的サービスがあるのだろうけど、特にそういった描写はない。ロマンポルノならあるのかね。それとダブルヘロイン。なんじゃそりゃ?って感じだったんだけど、ヘロインより強いのかな。何か説明をしていたのだけど、よく覚えていないや。「ウィスキーダブルで」って感じで選ぶのかね。「ヘロインダブルで」って。
ヴェーラで見たんだけど古川卓巳『麻薬3号』(1958)と二本立てでね。これも長門と南田洋子が主演で『麻薬3号』は南田洋子がメインヒロインなんだけど、完全にメンヘラなのね。別の男を捜しに長門をたずねてきたんだけど、その男が人殺しで自首しちゃう。それを知った南田が長門を好きになる。何で好きになるかは明確に描かれていない。たぶん、映画だから好きになるんだろう。映画の嘘っぱちのひとつなんだけど、これが映画なんだろなー。理由なんていらないんだよね。それでなんでメンヘラか? ってのは長門依存症的な感じなのね、完全に目から病んでるの。ちょっと長門が行方不明になったら薬飲んで自殺しちゃうんだもん。怖いね、ほんと。