『グラスリップ』の8話と9話を見た。

1話を見た時は、これはピーエーワークスさん新たな境地!と思っていたのですが、回を重ねるごとに、あの「止め絵」演出に嫌気がさし、でも尚、眼鏡っ子がかわゆいとか言いながら、とうとう後半まで差し掛かってきてしまった。(1クールだけでしょうか)

ちょっと、迷走気味の「止め絵」演出だが、それ以外に関しては、1話から推測された、”美しさ”や”青春”の”儚さ”をブレなく演出している思う。

「美」は一瞬のものである。『グラスリップ』 - つぶやきの延長線上

例えば、やなぎと雪哉にみる人と人の距離感の演出。一つ屋根の下で暮らし、しかも、隣の部屋に自分を好いてくれているのに、振って(振ってはいないか)しまった子がいる。合宿という名目はあるが、一時的に彼女との距離を離すのは、少なくともそんな気まずい状況だからだ。けれど、彼女からのメールを見てしまうし、電話をかけて「お前と話すと落ち着く」なんて言葉をかけてしまう。メールを使った演出で言えば、幸と祐の関係性も、今まで構築されてきたものが崩れていく儚さ。順調かのように見えていた二人だったが、幸の行動から、連絡を絶つ祐。一方的に幸から来るメール。そこにはタイトル「明日のために」文章「夢十夜」と書かれたメール。


幸は古風なのか文学少女過ぎたのか、母親に対して祐を「ボーイフレンド」という。時代設定がどうだか知らないが、「彼氏」というより、どこか丁寧に感じるが、それと同時に日本人的には距離感がある言葉に感じた。回が進むにつれて、幸の抱える想いが、違和感として視聴者に伝わってくる。そんな演出が、9話のラストで活きてきたような気がする…「やっぱり」と。



透子と駆を巡る「未来のカケラ」についてもそう。ちょっとやり過ぎじゃないかと思われるような美術準備室での演出。ローからのロングショット。影を上手く利用したホラー演出。お互い知りたいことが山ほどあるのに、二人でいると発生し易くなる透子の見る未来。美術準備室に関しては、ある未来と現実が、急接近し、あまりに生々しく表現され、未来と現実の境目がわからなくなるようだった。

そして、9話の駆による「未来のカケラが聞こえない。」という発言。二人を繋ぐ共通項が、ふっと自分のもとからいなくなる。こんな想いを寄せる人たちの距離感に、1話から見られたテーマというのはブレてはいないなと感じる。と、思うと、「止め絵」演出は、「1話だけが良かったんじゃないの?」が深まってくるんだけど、その辺は最後まで見てから…ということで。