『結城友奈は勇者である』は「まどマギ」に叛逆できたのか?

まどマギ」のパクリや既視感が…とか散々言われていた「ゆゆゆ」ですが、最終回までイッキミしたのでサラッと。

そもそも「パクリ」なのか「オマージュ」なのかは、どうも言いようがありますが、リスペクトを込めているのが、「オマージュ」。「パクリ」は「丸パクリ」って言葉があるように、元ネタをそのままコピーして使用すること。まあ、文章でも「引用」「転載」なども色々ありますが、最近だと『ハイスコアガール』が、キャラの無断使用で問題になっていますね。好きな作品なので残念な気持ちがありますが、法的なモノってのは絶対的な力があるので…

と、脱線しましたが、「ゆゆゆ」まず、これって「まどマギ」のパクリなの?オマージュなの?って疑問。

僕も「既視感ガー」と事前情報がなくても、「これは似ているというか、まるまるそうやん」ってところから入りました。単に「魔法少女」が「勇者」に置き換わっていて、同じじゃないの?って疑問。

例えば、

・ある日得体の知れない力を手に入れる。
・戦闘シーン(結界
・劇伴
・キャラデザ
・キャラ設定
・台詞
・世界の為に戦っている

挙げればキリが無いですが、カット割り(細かく検証していませんので省きます)含めれば、凄い数になるのではないかと。
ただ、爆発的人気、テン年代アニメの代表格とも言える「まどマギ」をまるまるパクって…というのが、普通あり得るのか?という疑問。
やるにしても、似たような設定・キャラ・台詞回しなど、あまりにやり過ぎている感がある。


■「まどマギ」と似ている点(物語の転換)
もう少し気になる”似ているところ”を細かく見ていこう。

挙げればキリが無いので、物語の転換に注目してみた。


「ゆゆゆ」の最初の転換期は、12体のバーテックスを倒した後の6話「明日に期待して」。

彼女たちは、視覚、声、味覚、聴覚と、一人一人「何か」が奪われていることに気づきだす。
→「あれ?勇者システムってさ、、、」の疑問というか不信感を煽る回。

まどマギ」の6話「こんなの絶対おかしいよ」で、魔法少女の身体の秘密について語られているように、一つの転換のタイミングは一緒だ。*1

そして次の転換として、8話「神の祝福」。

ここで新たに出てきた少女に勇者システムについて知らされる。
登場人物が「第三者の掌で転がされていた」事実を知る。
6話の不信感から、完全に「騙された」への転換。

ここで、まどマギ8話「あたしって、ほんとバカ」を見てみよう。

さやかが、魔女になるまでを描いた回であり、終わり際、キュウべえ魔法少女のシステムについて、不適な(感情ないくせに)顔で説明している。まさに「騙された」であり、キーポイントとしては、主役たちが第三者からシステムの事実を知らされるということだろう。正確に言うと、キュウべえは私たちに語りかけていますが。(ホント、ムカつく顔してますね)


そして、最後の転換は10話「愛情の絆」。
こちらは、もちろんまどマギ」10話「もう誰にも頼らない」の対になる。


ほむら似の東郷さんの過去を語る回。

そして、ラストのオープニングカットも結菜とバーテックスのツーショットがワルプルギスとまどかのツーショットに見えなくない、というか見える。と、ほむら頑張っていたように、東郷も一人で無茶をして、最後に友奈に静止させられる…という回だった。

これだけ挙げてみても、やっぱり「まどマギ」を意識していないとは言わせない演出が目立つ。

■「まどマギ」への「叛逆」
じゃあ、「まどマギ」のパクリ!とバッサリと切り捨てるのも少し違う気がする。
「ゆゆゆ」は少なからず「まどマギ」に叛逆している点があると思う。

例えば、タイトルそのままだが、結城友奈は勇者である」はまどマギに置ける、まどかの「魔法少女になる」と近しい台詞だ。

まどマギは運命ではなく、自らの意思で「何か」になるお話である。一方「ゆゆゆ」は、神様によって「あなたは勇者の適性があるので、勇者になりなさい」と強制的に「何か」にされ、死ぬことも許されない運命を決められてしまう。ただ、最終回で友奈は「勇者である」ことを自主的に選択しているので、ぐるっと一周すると「まどマギ」なのかもしれない。ただ、キッカケは大違いである。「騙された」のは一緒だけど。

後は「魔法少女」と「魔女」は対になっているが、「勇者」と「神」や「バーテックス」は対になっていない。一般的に言えば、「勇者」に必要なのは「魔王」である。何しろ「勇者である」とタイトルで言っている以上、最大の敵は「魔王」の筈なのに。しかしながら「ゆゆゆ」の勇者は「バーテックス」という未確認生命体を相手にしている。バーテックスはvertex、すなわち「頂点」という意味になる。あの世界の全ての生命体の頂点に君臨する生物。それが、バーテックスだ。

だから、地球外生命体から地球(のカケラ)を守っているのが「勇者」という構図なので、余計な情報を取っ払うと、結構シンプルな構造だと言うことがわかる。


ここから少しメタ的に物語を読み取ってみる。

彼女らは「バーテックスは12体いる」という情報を大社から与えられている。

エヴァ」っぽく、というか12体と聞くと「使徒」つまり、「神の使い」と読み解けるので、12体は大社の作り話であるが、実は「使徒」って大社が放っているんじゃないの?と、意味深に聞こえる。勇者システム自体を作っているのも神ですからね。キュウべえじゃないけど、世界を存続させる為に、本当に勇者の力が必要だったのでは?と。
こればっかりは、解決したのか、解決していないのか、よくわからないエンドを喰らったので何とも言えないが…

あと、違う点というと、まどマギでは叶うことのなかった「水着」「温泉」回なるモノが存在したこと。この辺はゆりゆりしたいいアニメ…ってのは冗談として、やっぱり徹底的に違うのは結末だろう。

まどマギでは「まどか」がある意味”犠牲”となり、世界を絶望の縁から救ってみせた。
確かに、世界は救ったかもしれないが、”暁美ほむら”個人は救われていないEND(キャラは救済されていない)

ここで「ゆゆゆ」の一番言いたかったことはまどマギ」のラストに「叛逆」してみせたこと。

最終回では友奈が意識をなくし、絶望ENDに見せかけたが、意識を回復させる。
しかし、まどマギと違って、世界が救われたのか?それとも救われていないのか?わからない。
しかしながら、キャラは救われているのでキャラ的にはハッピーエンド。(世界は救済されていない?)

まどマギ」は何度も世界をやり直すことで、不幸の沼へズブズブだったが、「ゆゆゆ」は言いたいこと(最後に行う劇を参照下さい)を言うキャラが必要なので、言うなれば『グレンラガン』的に「世界」よりも「キャラ」が勝つ構図。「歯食いしばれ〜!」発言ありましたしね。

だから、ただの「パクリ」だよと、切り捨てるのはモッタイナイし、言われているよりも悪くないじゃんってのが僕の感想。だからといって、全肯定は出来ないし、わざとか知らないけど「盛り上がり」は若干欠ける。「まどマギ」のような衝撃はないし、どちらかというと「まどマギ」に少なかった「泣き」に重きを置いている気がした。それと、「曖昧さ」でノレない人が多いだろう。そもそも、この物語は「勇者である」って話なので、何かが解決するお話でもないし、スッキリしないことを前提に作られていると感じる。

まあ、前日に書いた『その女アレックス』と違って、オススメはし辛いですが、時間を持て余していて、何もすることが無ければ見るのも悪くないんじゃ?程度の期待でどうぞ。

*1:悪名高い3話「もう何も怖くない」にも言えるだろうが、転換というか、現実を”見せた”意味合いが強く、転換としては6話が自然かと。