やっと始まった、僕の2012年『傷物語〈Ⅰ 鉄血篇〉』感想

西尾維新《物語》シリーズの“始まり”の物語ながらファンにとっては待望の『傷物語』。これは日陰の物語だ。それは例えば執拗に表記される“NOIR”の文字や“日章旗−太陽”といったメタ的な演出。直接的には吸血鬼が夜の世界の住人ということが決定的であるが、アニメ化も陽の目を浴びなかったという意味でもある。

西尾維新が『傷物語』を発表したのは2008年のことだった。暦と忍(キスショット)の出会いを描く“始まり”の物語ながら『化物語』よりも後に発表されている。またアニメ化が決定されたのは2010年、そして2012年に公開といったスケジュールであった。それから数年が経ち「『傷物語』はなかったんだ…」半ば諦めだった頃『終物語』放送の2015年10月に突如2016年1月公開が発表された。やっと僕の2012年が始まったと。

ここまで待たされたら旬を過ぎたと言えるかもしれないが、『終物語』でキスショットが本当に彼女自身の本心を吐いたところで『傷物語』とのつながりがグッと意識された。またキャストの人々、特に暦の声を担当する神谷浩史は『終物語』を経て暦がどのように『傷物語』の暦になっていったかの過程を知ることで幸いだったと語っている。実際に映画の暦は『化物語』以降の暦ではなく、僕たちが出会ったことのないような暦であり素晴らしい演技だった。またキスショット役の坂本真綾は「ようやくキスショットに出会える」と嬉しそうに語っている。彼女は忍を演じる上で一度キスショット(大人)のしゃべり方をして、そのまま子供の声に変換する過程を踏んでいるらしい。こういったキャストの話を聞いているといかに《物語》シリーズが僕らの「時間」を操作していたかわかるだろう。

アニメを映画にする方法の上で「時間」を操作することは非常に大切で出崎統押井守を参照すれば自ずと見えてくるが、《物語》シリーズは作品内のみならずアニメ化に至る過程(現実時間)で「ファーストシーズン→セカンドシーズン→ファイナルシーズン」と歩み“始まり”に戻ったことで、僕らの「時間」さえも操作されていることがわかる。時間を感じさせる演出でいえば、暦のモノローグ(語り)をバッサリと切り、逆に彼が発火するまでの緊張感あるシーン(階段−カラス)を冒頭に持ってきたり、キスショットと初めて出会うシーンを街中から地下鉄に変えることでミステリアスな時間を演出した。暦が地下鉄構内を「進む→戻る→進む」ことで、完全に時間を操作していることがわかる。*1

また細かく見ていくと暦と羽川が最初に出会うあのシーンは当然のことであるが、海沿い(河?)の何年代のメロドラマだよとツッコミを入れたくなる劇伴も時間を意識させ、背景の生々しい海はCG以後の表現方法を考えさせてくれるようで食い入るように見てしまった。他にも映画からの引用やメタファーを使うことで全く新しい映像なのに、どこか懐かしい作品を見ているように感じさせる記憶に訴える物語。『傷物語』の幕開けに相応しい“日陰(NOIR)”の物語だった。

傷物語 涜葬版

傷物語 涜葬版

*1:また小説であれば自分のペースで読むことができるが、映画はどんな人でも必ず同じ時間を体感させる性質がある。