湯浅政明『DEVILMAN crybaby』感想

昨年から期待を寄せていた『DEVILMAN crybaby』面白かった。新千歳空港国際アニメーション映画祭のときに湯浅監督他がめちゃくちゃエログロと言っていたので覚悟して見たが、そこまでエロくもグロくもなかった印象を持った。というのも、『マインドゲーム』や昨年の『夜は短かし歩けよ乙女』や『夜明け告げるルーのうた』と似たような湯浅政明らしいポップなデザインで描かれていたので、現象としてはエログロが繰り広げられていても視覚的には見やすい。とはいえ、8話から9話にかけての畳み掛けるような展開には絶望感を味わえたし、世界にひとり取り残される了にも気持ちが入ってしまった。

原作は1970年代の作品ともあり、キャラクターの極端な発言や暴力行為など、今見ると突飛に感じるが、それが現代的にブラッシュアップされていて、違和感なく見ることができた。中でもいちばんの変化は美樹だろう。永井豪の原作では、どこぞの不良よりも口の悪い小娘というように描かれていたが、本作では世間的にも有名なアスリート高校生。性格もこんな子本当に存在するのだろうか?と思うような「いい子」として描かれている。これが、9話のバラバラな身体に響いてくる。原作の美樹であれば正直なところいい印象を得られないので、バラバラにされても「死んじゃったんだね〜」くらいにしか思わなかったのだが、本作では最高潮の盛り上げを見せるようにキャラクター設計されているなと感じた。また、 SNSの扱い方はステロタイプではあるが、デマというかポスト・トゥルースに目配せを送り、そもそも人間とは?悪魔とは?といったアイデンティティの問題にスムーズに移行ができる素晴らしい脚本と演出。

また、虚構内虚構のようなものとして、本作で主人公のpc検索履歴でわかるが、今作ではデビルマンのアニメが放映されている世界だということだ。これはのちのポストトゥルース問題や人間/悪魔の存在とは何か?までスムーズに進めるための潤滑油のようなものだと思う。たとえば、明はデビルマンに変身する瞬間を雑誌社に撮影されてしまうが、持ち込んだ先にはテレビのやつだろうとあしらわれてしまう。(実際には彼もまた悪魔なのであるが)視聴者の前には人間/悪魔といったものが見えているが、フィクションから離れたとき、それを信じるか?と言われたら真に受ける人は少ないだろう。そういった真実/嘘といった問題を物語の前半に仕掛けることで、後半の展開について行きやすいといった効果もあるだろう。美樹が飛びっきりのいい子になっているもの、記者の胡散臭さがより際立ってわかりやすい印象を与えるのではないだろうか。

何より、バトンからラストの解釈が私的に好みであり、どこにも行く当てのない想いが残留していく展開には胸を打たれた。このデビルマンは了目線だったのだと。『まどマギ叛逆の物語』を思い出してしまって辛かったけどよかった。ただ、シレーヌ戦は夜という原作リスペクトだったのか、暗くて見づらかった。夜だから見づらい、他に理由があって見づらいってのは別にフィクションで必要ないと思う。でも、1話のデビルマンへの変身シーンは最高でしたね。

[rakuten:book:18898694:detail]