出崎統『劇場版エースをねらえ!』について

先日放送された「ニッポンアニメ100年史」にて、庵野秀明押井守出崎統について語ったらしい。特に『オンリー・ユー』で「映画ではない」と気づいた押井守は『劇場版エースをねらえ!』を繰り返し見て、アニメを映画にする方法を学んだというのは有名な話であるが、地上波でこうやって出崎統がまた取り上げられるのは何とも嬉しい。

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「何回見たか覚えていないほど繰り返し見た。一つ分かったのは、流れている時間が違う。異なる時間と空間を自在に操ることで、作品固有の時間が流れはじめる。それがとてつもない快感を生み出す。『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(84年)はそれだけを目指して作った」

押井守といえば「ダレ場」。コメントを読むとわかるように、映画で必要なことは「時間」だと考えたようである。出崎演出として繰り返しショット、ハーモニー、画面分割、入射光、等々が取り上げられるが、その本質には常に時間がつきまとう。逆に出崎と同じように単に表現としてハーモニーを使っても、出崎とは違うような演出に見えたり、逆に表現方法が違っても出崎と同じような「時間」を固有することは出来るのである。後者でいえば山内重保あたりが順当だろうか。

『劇場版エースをねらえ!-』は、その最高峰であり、出崎演出のテンコ盛り、当時の商業アニメの技術が『劇エース』には反映されている。旧アニメスタイル アニメ様の記事が素晴らしいので取りあえず貼っておく。

WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第25回 劇場版『エースをねらえ!』

昨年再発された『劇エース』のブルーレイには、DVDに収録されていた出崎統とアニメ様のオーディオコメンタリーも収録されている。コメンタリーでアニメ様が出崎統に確認をしているが、本作はとても短期間で作られた作品である。

実際の時系列は曖昧だが、『宝島』終了後に『劇エース』の話が来たとすると、半年間を切っていることになる。コメンタリーで実際の制作期間は3ヶ月〜4ヶ月程度だったと出崎が語っているように、劇場アニメでありながら短期戦を強いられた作品んだった。そんな時間のない中、出崎自らコンテ以外も手掛けており、ひろみとお蝶夫人が出会う印象的なシーンは、出崎がセルにマーカーで色を塗って作ったという。

絵コンテを手掛けながら、何度も高橋プロへ足を運び撮影もチェックしていたというから、本当に超人のような人物である。そういった背景と、キャラクターたちの境遇が密接に絡み合い、命を燃やすような青春映画に昇華されている。

自分がいつも出崎について話ときに、「命を燃やす」「一瞬」「青春」「人生」といったキーワードを使うことが多い。出崎演出と呼ばれる、映像表現を使うことで観客に見てほしい「瞬間」を演出する。とくにこの表現と作品(キャラクター)の密接した絡みでいえば『あしたのジョー2』の矢吹上がお手本のような存在。

「そこいらの連中みたいにブスブスとくすぶりながら不完全燃焼しているんじゃない。ほんの瞬間にせよ、眩しいほど真っ赤に燃え上がるんだ。そして、あとには真っ白な灰だけが残る・・・。燃えかすなんて残りやしない、真っ白な灰だけだ」

14話「どこにある… ジョーの青春」紀子との会話シーンである。街中で青春を桜花する若者たちを横目に紀子がけしかけるシーンだが、彼はそんな若者の青春なんて全く興味を示さない。彼は命を燃やした先の瞬間を夢見ているのである。

出崎統フィルモグラフィーを見ると70年から80年にかけて本当にすごい作品がテンコ盛りだが、90年代も『おにいさまへ…』であったり、ゼロ年代に至っても『とっとこハム太郎』や『劇場版AIR』『劇場版CLANNAD』など物凄い作品を世に送り出している。ただ、出崎演出が古臭い、などと言われ世評的にはあまりよくない。冷静に作品を見ていればわかるように彼の演出は主題と深く結びつく。短い期間の物語を90分で濃密に描いた『AIR』。永い期間の物語をギュッと濃縮した『CLANNAD』。いづれにせよ時間を意識的に演出した作品だ。

この『劇場版エースをねらえ!』は監督・絵コンテ:出崎統作画監督杉野昭夫、美術:小林七郎、撮影:高橋宏固という出崎組が残した総力の結晶である。2010年代も半ばを過ぎ東京オリンピックが目前に迫った今日であるが、彼らが残した名作は今後も後世に影響を与えていくだろう。今後も出崎統の作品がフィーチャーされていくことを願っている。

アニメーション監督 出崎統の世界 ---「人間」を描き続けた映像の魔術師

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