小澤雅人 『月光』を見た(感想)

シネマスコーレにて小澤雅人『月光』を見た。

「月光には何か不思議な魔力でもあると云うの?」
「伽噺じゃあるまいし。月は太陽の光を反射しているだけさ。だからね、太陽の光は動物や植物に命を与えてくれるけれども、月の光は一度死んだ光だから、生き物には何も与えちゃあくれないのさ」
京極夏彦‐『魍魎の匣』P.18)

強姦されそうになる女性が何とか逃れようとして、湖に反射した満月に手を伸ばそうとする。しかしどうしても逃れられない。それはまるで呪いのように彼女にまとわりつく。この映画は「性暴力被害」をテーマとした映画であり、こうした性暴力シーンをいくつも私たちに突き付けてくる。まるで悲痛の叫びのように。映画のオープニング、不意にシャッター音とフラッシュによって“迫られる”女性がアップで映される。次に切り返しによってどうやら写真館で何かのモデルをしている様子だとわかる。この「撮影者(迫る)‐モデル(迫られる)」の関係性は、同時に似たようなショットで「迫る男‐迫られる女」といった別のシーンが混入されることでいっそうに“迫られる”ということを強く意識させる。

その「迫られる女性=主人公(佐藤乃莉)」は個人ピアノ教室の先生をしているようでオープニングの「迫られる」シーンのあと生徒らしき子供の演奏を見ている。しかしこのシーン以後しばらくは、外からの光が印象的おさめられており人物の顔がなかなかおぼつかない。どうも認識できないように画面設計されているようなのである。確かに月光は綺麗かもしれないが、太陽のようにハッキリと照らすわけではなく、所詮は「一度死んだ光」であるため、ボンヤリとした光しか与えてくれない。だから「顔」がハッキリとは認識できない。この「認識できない」といった感覚は、なかなか私たちの前に情報として姿を見せない「性暴力被害」といったこの映画のテーマにもつながると考えられる。

また「性暴力被害」つまり既に起こってしまったこと(事実)として、この映画ではトラウマ(回想)を有効活用している。そのトラウマを呼び起こす装置は「音楽」である。佐藤乃莉は裕福な生活をしているとはいえない。ピアノ教室の先生といった仕事で何とか生活している。また彼女の実家もどうやら裕福な家庭ではなかったようで、実にお金がなく子供のころ親戚のおじさんの家に預けられた経験があり、そこでどうやら「性暴力」を受けた過去があった。終盤で彼女が母親に子供のころ虐待されていたと告白するシーンがあるが、当時いわなかったのは、母親に迎えに来てもらいたかったからおじさんの言うことを守り「いい子」であったようだ。そう彼女は子供のころから、誰かの許しがなければ先には進めなかった。また学生時代に先生(失念 ※何度も出てくる男性)と不倫状態だったようで彼女はそのころについて「俺の“言うとおり”にすればよかったと言っていた」と怒りをぶつけるシーンがある。とにかく彼女は誰かの許しがなければ行動できない存在だった。

それを強めるのはまた彼女の教え子の少女もそうである。家庭内暴力性的虐待…を受ける彼女は常に誰かに何か許しを得なければ行動できない(佐藤乃莉にトイレに行っていいか聞く…等)。その少女の姿をおそらく自分=トラウマ(佐藤乃莉の子供のころ)と重ねているのだろう。彼女らの共通することとしてシートベルトが外せないといった動作がある。これも「迫られる」ことによって彼女たちの動きが制御されてしまっていることを意味している。タクシーで彼女がシートベルトを認識したとき発狂するのもそういった理由だろうか。あくまでこの映画が見せる佐藤乃莉への性暴力は既に起こってしまったこととして提示されている。だから彼女は逃げられない。精神的にも逃れられないが、強姦した男が行為をビデオに収めることで物理的にも行動ができなくなっている。

この映画のラストシーンで彼女は少女とある取引をすることになる。彼女は少女のほしがっていたヒールを、少女はビデオ(や写真)を渡す。彼女はヒールからスニーカーに履き替えたように大人から少女へ、少女はヒールを手に入れることで大人(束縛されない者)への転身を図る。月光が太陽光の反射(複製)であるならば、ビデオもまた複製として彼女の束縛(トラウマ)を解くキーとしての意味が込められている。湖に映る満月もさらに反射した光である。そして彼女は母親に認められることで「救い」を得られるといった真っ当な終わり方を見せる。

「音楽」
トラウマを呼び起こす装置としての「音楽」はそこらじゅうで鳴っている。等間隔でリズムを示すメトロノーム、トンネルで響くヒールの足音、電話のコール音…。彼女の生活圏におけるすべての環境音がトラウマを呼び起こす装置となる。また彼女は音楽をイヤホンで聞くシーンがある。病院でのシーンではまるで「夢」のように自信をもって堂々と病室まで一直線に歩いていく。おそらく彼女が描く像のようなものを表現(特に帽子)しているのだろうと思うのだが、タクシーでトラウマを見たときにも同じようにロックがかけられる。ただここは、どうも音楽を心理につなげすぎていて若干くどいように感じられた。病院のシーンも一瞬ハッとしなくもないが、どうも感情の起伏に順応する音をつける演出は好みではない。

長文になってしまったが最後に。テーマとしては重いものを取り扱っているが、どうもあまり肌に合わないというか、111分が長いように感じられた(テーマが苦手だとかではなく映画として)。未見だが前作『風切羽〜かざきりば〜』も児童虐待がテーマとされているようで作風は今後も変わらないだろうな、と思う。確かに主題を画面で演出するといったことが常になされていいるが、どうも音楽の扱い方がちょっと苦手だったような気がしてノレなかったのが正直なところだ。ただけして悪い映画ではないし今後も意欲的に作品を撮っていく監督だろうと思う。

風切羽~かざきりば~ [DVD]

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文庫版 魍魎の匣 (講談社文庫)

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