主題と撮影方法の演出について/『サウルの息子』感想

外国語映画賞を受賞したってのが直接的な要因ではないんだけど、Twitterでもわりと話題になっていたのでサウルの息子を見てきました。主に撮影方法と主題に対して書いているのでネタバレしています。

面白い手法だな〜と思ったのが、表象不可能(伝達不可能)といわれたホロコーストを見せることではなく、なるべく見せない撮影方法(POV風)を選択して表現したこと。この映画ではPOV風の撮影含め、被写界深度が浅く対象物以外ほとんどピンボケした画面で撮影されている。ある対象物のみにピントを当てて外で何が起きているか明確には見えないようにしているのだ。ただ、環境音が生々しく聞こえてくるので、何が起きているかわかるようになっている。この手法はホロコーストが表象不可能(伝達不可能)だったことを、被写界深度の浅いレンズを選択することで”想像させる”といった狙いがある。それと冒頭にテロップが入るくらいで状況説明というものはほとんどないに等しい。だけれども決して想像しにくいといったことはなく、サウルがとる行動のみで何をしているかわかるようになっており、最低限は娯楽作品として見れる作りをしている。

2016-01-26

サウルがやたらと息子を気にしていた理由と、主題及び手法が切っても切り離せないのでそこについて触れようと思ったのだが、町山智浩がバッチリ解説しているので端折って主にPOV風の撮影による演出や影響を受けた作品について考えたい。本作が明確にPOVといえるかというと、俯瞰ショットもあるのであえて”POV風”と書いているのだけど、本作を見ていてPOVが流行りではなく定番に根付いたなーと実感した。だから決して奇をてらったわけではなく、先に書いたように主題ありきでこの手法を選んだのが”POV風”につながっているように思える。固執していないからラストショットにもつながるのだろうと。

影響というとたくさんの方が書いていますが、昨年公開されたアレクセイ・ゲルマン『神々のたそがれ』を連想する人が多い。あの作品は「神様密着ドキュメンタリー」といってしまいたくなるほど、神様についてまわり未知の惑星の生態系をとことん”見せた”作品。選択した手法は似ているかもしれないが、『サウルの息子』とは違いおっさんたちがカメラに茶々を入れたり”見せること”に執着した作品なので真逆の作品といえる。それと「見せないPOV」とい聞いてパッと思い浮かぶのはブレア・ウィッチ・プロジェクトあたりだろうか。まさに見せないことで観客に何が起きているか想像させる手法なので、主題に沿った選択で似ているといえる。『ブレア〜』は公開時に人気が先行してしまい、逆にあの選択にガックリした人が多いと聞くが、今の時代見せるPOVが多いなか逆に今見ると新鮮な気持ちになるかもしれない。

それと画面比率でスタンダードを選択していることが、より外の世界を意識させるのかもしれない。画面比率による画面の広がりについてはルノワールの『ピクニック』を見たときに強く思ったのだけど、演出方法次第でスタンダードサイズは単に奥行きだけでなく、画面の外の世界を意識させると感じさせることができる。映画館であればカーテン(シネコンでは存在しませんが)、地デジ対応した今のテレビであればスタンダードのフレーム外は黒落ちする。そういった制限をかけることで、パッと画面内で広がりが生まれる瞬間がある。『ピクニック』であれば窓をバッと開いた瞬間に、出会いと外の世界へ想像をかきたてた。『サウルの息子』でも今の時代にあえてスタンダードサイズを選択することで、観客にフレームの外を強く意識させ、環境音でより外の世界への広がりを、つまり想像力をかきたているのだ。これも主題と沿った撮影方法を選択しているといっただろう。

まとめると『サウルの息子』は撮影手法が特殊ながら、手法オチになっておらず主題を明確化するための演出方法のお手本といえる作品だったと思う。だから逆に手法優先でフェイクドキュメンタリー的なものを想像するとちょっと期待したものとは違うなと思うだろう。一風変わった劇映画として考えた方がいい。ホロコーストといった言葉が出てくると、重い作品となるかもしれないが、ひたすら「息子の葬儀をするんだ…葬儀!!」と何か取り憑かれたようなおっさんを見ているだけでも面白いと思えるので、娯楽作品としておすすめです。