「情動」が風景と同調する/侯孝賢『黒衣の刺客』感想
本作でスー・チーが泣きながら身体を震わすシーンがある。このシーンでは決してスー・チーをクローズアップすることはない。涙を見せなくても身体を震わす振動で見るものに伝わるのだ。人物たちの情動は決して画面に優先されずに、あくまでも一歩二歩引いた距離で撮影する。これがこの『黒衣の刺客』と私たちの距離感である。
侯孝賢が手がける初めての武侠映画そして凄腕の女刺客と聞くと、胡金銓『侠女』のようなワイヤーアクションや登場人物たちの情動が反映された派手な画面を連想するが、侯孝賢のとった手法は真逆だ。ロングショットを基調としゆったりと広大な自然にカメラを向けている。オープニングでスー・チーが相手を殺した後、カメラが上を向くと木々が揺れ葉がぶつかり音を立てる。カメラの前で人物たちが佇んでいても、夜を照らすロウソクの火はゆらめき、部屋を仕切るカーテンは風にそよぎ画面にかぶさる。武侠映画といえどアプローチは変えない、派手さを抑え台詞すら極限まで削った映画がここにある。
スー・チーの役は昔結婚する筈だった相手を殺しに行かなければならない暗殺者だ。任務を遂行しようとするスー・チーは映画の中でずっと悲しげな表情をしている。彼女は結婚が破談となりその上命を狙われることになった。そして暗殺者として育てられ13年ぶりに帰ってくる。彼女の身を案じた養母は死んでしまっている。泣き叫ぶでもなくただ身体を震わせ泣くスー・チー。
分かりやすく画面に訴えかけてはこないが、この映画の抱える情動は大きく、根深いものだ。それを体感させるのが撮影方式であり、風に揺れるカーテンや夜を照らすロウソクに灯る火の揺れなのである。「情動」が風景と同調しそれが視覚や聴覚を刺激する。演技に頼らなくても自然にあるものだけで表現する方法を侯孝賢は選択したのである。
誰にも気づかれず感情を抱えながら暗殺のタイミングを窺うスー・チー。カーテン越しでチャン・チェンを捉えるカメラ(彼女の眼差し)は実に悲しげな視線だ。部屋の仕切りがカーテンのように内と外の切り分けが曖昧なように、彼女が隠密で動いていることと、近しい間柄の者であることを表現している。全てのシーンが静かに情動を抱えている。そう言った手法が、武侠映画らしくないのかと言われるとそうでもなく、例えば『大酔侠』のように殆どのシーンに「赤」が彩られている。川が流れオレンジ色の夕日(か朝日)を背にタイトルが真っ赤に記される。近しい者を殺さねばならない「赤」のイメージ。それが美しく画面にしまりを生んだ。
また『大酔侠』で傷付いたチェン・ペイペイが治療されるシーンがあるが、この映画でもスー・チーを鏡磨き*1の妻夫木聡が治療するシーンがある。わかりきったオマージュではなく、侯孝賢の血や肉となった映画の記憶が脳内のイメージや感覚のレベルで訴えてくる。
本作のラストシーンで彼女が道士のもとを去って鏡磨きのところへ戻ったとき、ロングショットで表情が捉えづらかったのであるが笑顔のように見えた。ずっと悲壮の表情を浮かべていた彼女がもし笑ったとしたら、この先の旅はきっといいものになるだろう。侯孝賢と共にまた優れた映画撮って欲しい。この先も。
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