映像に映る生霊(≒私)を見たとき――クリント・イーストウッド『15時17分、パリ行き』(2017)

イーストウッドの進撃が止まらない。80歳を越えても尚、新作を連発するイーストウッドの存在は、毎年新作を見る楽しみになっており、それは嬉しいことなのだが、何やら奇妙な映画を作っている。近年『アメリカン・スナイパー』(2014)、『ハドソン川の奇跡』(2016)と実話モノが続き、どちらも妙に淡々としていて奇妙な映画に思えたのだが、2015年にアムステルダム発―パリ行きの列車内で起きた実際の事件(タリス銃乱射事件)を映画にした新作『15時17分、パリ行き』もこれまた奇妙な映画だった。

今作で話題になっているのは事件に巻き込まれた人物――特に主演の3人は冒頭から終わりまで出演している――を本人役として映画に起用したことだ。そして、犯人を制圧した3人が勲章を授与されるシーンで、実際のニュース映像と映画を切り返してみせる。一見、アメリカ賛美の英雄壇とも取られそうなテーマだが、そんなところはどうでもいい。実話ベースの前作、前々作でも顕著だったが、今まで以上に高揚するシーンを排除して、出来事を淡々と撮影してつなげる。編集もこざっぱりしていて、特に秀でた画面も続いていかない。観光シーンも、軍人になろうと懸命にトレーニングしているシーンも、犯人を制圧したシーンも、すべて等価であるように撮られている。*1唯一の差異はニュース映像を使用した切返しショット。これでも映画が作れてしまうのだと。

たとえば素人を起用した濱口竜介の『ハッピーアワー』(2015)のような効果を出そうとも、ロベール・ブレッソンのモデルの概念などを考え起用したとは思えない。だからといって、本人を本人役として起用する『クローズアップ』(アッバス・キアロスタミ、1990)にするわけでもない。彼らが本当にそこにいた事実を映画に“淡々と”残していくような試み。人間的でもなく機械的に、彼らがまるで生霊のようにさまようかのように…(かといって幽霊的な感覚とは少し違うと思うのだが)

それくらい見ていて怖いというか、奇妙な印象を覚えた。ニュース映像が使われているので、それまでのシーンとハッキリと違いが出ているのであるが、実に奇妙な光景だ。自分が撮影された動画をその場所で見ている感覚に近しいだろうか。そこには自分らしき存在が記録されているが、普段、自分の姿は鏡を通してではないと見ることができないので、自分がこんな風に動いているのか?自分はこんな声をしているのか?と奇妙な感覚に陥ることがある。もちろん自分も俳優ではないので撮影されることなんてほとんどない。画面に映っている彼らが素人であることから、彼らもまた似たような感覚に陥っていないかと。だから、事件に秘められた残虐性とは違った感覚を残している映画なのだと思う。

こういった感覚は早撮りの手法によって、生まれてきているように思える。まず、出来事を撮影するといったこと。大胆であるが、決して手法落ちしていない。なんやかんやとイーストウッド賛美をしてみたのだが、実際のところ、70年代の『荒野のストレンジャー』(1973)、80年代の『ペイルライダー』(1985)、ゼロ年代の『ミスティック・リバー』(2000)、『父親たちの星条旗』(2006)、『チェンジリング』(2008)の衝撃と比べるとそうでもなかった。それらの作品とは性質的に違うものだと頭でわかっていても、なかなか受け入れられない自分がいるのだろう。特に何事も起きない観光のシーンはとても楽しく見たのだが…。ただ、どこか引っかかる作品だったと思うので、時間が合えばスクリーンで再鑑賞してみようと思う。

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*1:この等価の概念は主に、イーストウッドの早撮り手法に発端するだろう。照明を控える、テイクを重ねないでほとんどワンテイクで撮影してしまうことで成しえている。