『SHIROBAKO』で見るインプットとアウトプットの関係/17話「私どこにいるんでしょうか・・・」

1クールは、5人が夢の現場が現実になったとき、どんな風に受け止め、どんな行動をとるのか?というのがとても面白かった。対して、2クール(12話からかなり顕著だが)は、彼女らがこの1年過ごしてみて、学んだことを「伝えて行く」ということがテーマ。今回の17話は、インプット(学ぶ)とアウトプット(教える)が上手く表現された回だった。

ディーゼルさん「久しぶりにみんなそろいましたね。」
絵麻ちゃん「なんか懐かしい」

この集まりでキーになるのは、ずかちゃん以外、みんな仕事で忙しいということだろう。ずかちゃんが本業以外の仕事をしているので、「ずかちゃんだけ可哀想」な構図に見えるが、3Dクリエイターのみーちゃんは「今の会社でタイヤ褒められました」と、これまで嫌で仕方なかった「タイヤ」について、無駄なことはなかったんだなと、「経験」が活かされたという話をしている。武蔵野アニメーションに入った後輩たちだけに伝えて行くのではなく、彼女らのグループ内でも互いに励まし合い切磋琢磨と能力を伸ばして行く、これも「伝えて行く」表現の一つだと感じる。

例外はあるだろうが、基本的には仕事は、人から人へ伝えていくモノ(教わるモノ)である。これまでのPA作品でも「仕事」ではないが、例えば昨年の『凪のあすから』では海と陸という境界がありながらも、人から人へ伝えていく物語であり、ファンタジーを効果的を使い、普遍的な世界のあり方について物語っていた作品だった。『SHIROBAKO』では、それがモロにテーマになる「お仕事」を使っているので、演出から顕著に感じ取れる。

まず、「後輩→先輩」の流れが描かれ、直属の上司以外からは、制作進行の後輩たちに対して「みゃーもりに聞いてくれ」なんて台詞が出てくる。これはみゃーもりは先輩として、周りから「認められている」と評価されている描写だ。さらにみゃーもりは、彼女自身の経験を後輩に語るというシーンがあり、休職中の矢野さんとのエピソード話が出てくる。教えてもらったことを後輩に話しながら、自分も再確認することが裏に隠れているようなシーンだ。

それと、絵麻ちゃんが通訳になり「後輩→先輩→相手」の構図になりながらも、肝心の「作画」ときには、さらっとお手本を見せ、1クールで先輩から教えてもらったことを「伝えて行く」演出を見せる。そして、12話「えくそだす・クリスマス」で実力がスパーキングした杉江さんからは「人に教えるということは、自分にも教えるということだからね」という台詞が出てくる。これは、仕事もそうだし、ブログをやっていて感じることでもあるんだけど、人に何かを伝えるってのは、自分も理解していないと出来なくて、アウトプットすることで、「自分自身の学びにもなる」と感じるんですね。感想書いていると、作品にある「テーマ」なんかがボンヤリ見えている(でも、ハッキリとわからない)状態から、思ったことをただ羅列するだけでも、少しだけど明瞭になってきたりする。だから、自分の為にもこういったブログでアウトプットをし続けていたりする。仕事も一緒で、人に教えようとすると、自分がわかっていないと教えられないですからね。

また、成長し続けるみゃーもりであるが、さすがに年上の平岡に対しては、なかなか接しし辛い。机を挟んだ構図が物語っているように、彼との間には境界が存在するし、みんなとの集まりでは、一人だけ端っこでスマホを弄っている。しかしここでは、ある意味ムードメイカー的な存在のタローが、空気を読まずに彼に話しかけているので、もしや、タローがキッカケに打ち解けるかと思ったりもする。(そりゃないか)平岡の存在は、新人デスクみゃーもりにとって、人間関係的な障壁であり、これからの成長の一つのキーになるだろう。

■まとめ
17話ではインプットーアウトプットの関係が、人から「学ぶ」と人へ「教える」こと。そして、自分が「学んだこと」を整理することで「理解」していくといった二重性をはらんだ作りになっていたと感じる。『SHIROBAKO』は、1クール・2クールと「お仕事」と同様のテーマながら、彼女らの置かれる状況によって、色々な視点から見れるカラフルな作品であるし、個人的に矢野さん(貴重ツインテ)復活はよ!と感じた回でした。

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