2クールEDから考える「かをり」の運命 『四月は君の嘘』 第1話 〜 第14話

『君嘘』2クールに入ってからも絶好調で、僕は早くも今季No.1なのでは?という確信をもっている。

今回は、2クール(12話〜)に入ってガラッと変更になったEDから感じた『君嘘』テーマや、演出について、本日までに放送されている1話〜14話を振り返りながら書き起こしました。(原作未見組です)


■1クール・2クールのEDの違いについて
OPにも触れられればいいのですが、特に印象深かったのがEDだったので、そこから話を。
まず、1クール(1話〜11話)EDに触れておくと、「春の香り」がするEDだった。

「1.公生が桜の花びらを掴む→ 2.屋上のかをり(花びら舞う)→ 3.帰り道(橋の向こう側(動線)にかをりがいる)→ 4.公園の遊具の上(桜満開)→ 5.(4)のショットをかをりのクローズアップで捉える→ 6.かをりが振り向く→ 7.公生花びらを離す。」といった一連の流れ。また後に触れますが、「かをりが公生を導いて行く」ような公生の視点で語られている。全体的に暖色を使用していることからも、「春の香り」がするEDだ。

それに対して、2クール(12話〜)では、1カット目から「かをりの瞳から流れる涙」という絵をクローズアップで撮る。そして、次は横からのショットに移り「水面に浮かんでいるかをり」という構図。背景は夕焼けのようで、先ほど「春の香り」がした1クールEDとは違い、何かの「終わり」を感じさせる。そこから、夜に移行することで、「暖色→寒色」の色使いになり、少し冷たい空気が漂う。そして、カメラが煽り、「光が降りしきる夜空」を捉える。

次のカットで、かをり自体も輝きだして、何処かへ吸い込まれて行くように見える。1クールEDとの違いは公生の「不在」ということ。彼の視点から始まる1クールEDの一連の描写から、2クールEDは、かをりの心象描写と彼女の置かれた状況を表現しているように思える。

このクール毎のEDの違いが、1クール目から描かれていた、かをりの体調の悪さ、つまり2クールの物語を描いており、少しずつ現実を帯びるかをりの「運命」(病気)、そして、これから公生が感じていく「不安」を、このEDによって予見させている。

纏めて書くと、1クールEDが「かをりが公生を光(舞台)へ導いて行く」物語を表現し、2クールEDは、かをりが公生の前からいなくなってしまう彼女の心象及び、状況を表現していると感じた。


■公生の闇から光へ
不安げなEDと本編との関係性に触れる前に、1クール目の主題である公生の動き(闇から光へ)の演出について触れる。

『君嘘』では、何度も「星」に対するアプローチをしている。
それは、『君嘘』の演出の中で、公生をピアノと自分自身に向き合わせるに重要なことだからだ。

それは、何度も上を見る(「星」が見える)という行為にあたる。例えば、10話のコンサートで演奏時、彼が自分と向き合い「誰の為に弾きたいか?」と問いただすとき、「一人で見た空は呑み込まれそうで怖かった。渡と見た星空はうつりげで、椿と見た星空は底抜けに輝いて、どこか不安げで、君と見る星空はどんなだろう?」と、誰かと見る星空のことを語っている。

この台詞はコンクール会場に入る前のかをりとの会話が伏線(7話)となっている。*1
「かをり」は公生を光へ導く存在。だから、下を向いている彼を常に上に向かせようと行動してきた。

「身長伸びた?…(わかった顔)もう下向いていないからだね」(12話)

しかし、「音が聴こえない」彼はコンクールで下を向いてしまう。

彼が初めて音が聴こえなくなったとき、彼の眼鏡には涙がたまり、深海を思わせる。

そして彼は、閉じこもり、母親の亡霊を「音が聴こえない」言い訳にしてきた。(13話)

12話でプールに落ちた時、彼は光(月光)を見上げる。
彼は、かをりと接することで、深海(闇)から空(光源)へ意識が向くようになる。
コンクール(11話)で清々しい演奏を終えたあと、彼は相座と会話をし、ドアの外(光源)へ向かって歩く。
相座の手が公生に向かって手が伸ばされるあたりが決定的なショットだろう。

彼はかをりに導かれながらも、彼と母親の問題に関しては、あくまで彼自身の問題として自分で解決する。彼の母親がまだ生存しているならば、今以上のサポートが出来るかもしれないが、以下のような語りがあるように、母親の死は自分自身で乗り越えなければならない障壁であることがわかる。

「知ってたんだ。母さんの亡霊は僕が作り出した影。逃げ出す為の理由。僕の弱さ。母さんはもうあの場所にはいない。母さんは僕の中にいる。」(13話)

演奏が終わった後、彼は母親にさよならを告げて、少し寂しそうに戻って行く。満足いくピアノが弾けて、観客と向き合い、顔が正面を向いているのにどこか寂しい顔。それは、彼が母親の死と初めて向きあうと言うこと。亡霊として、呪いとして「恐怖」の対象として逃げていた人物と初めて向き合ったから、彼は辛そうな顔をしているのだ。もう見守る存在は彼の視野には見えない。彼女の亡霊が、もう客席に姿を現していない(母親を頼らなくなったから)ことから、彼は寂しいのだ。

13話のピアノコンクールは、『君嘘』の一つのキーワードである彼と母親との関係に終止符を打つ重要な回である。


■かをり「病気」(予見)演出について
さて、話をかをりの病気まで戻すことにする。前章で書いたように、この作品では「星」が重要なキーになっており、公生をピアノへ向かわせる手段とされていた。しかしながら、その「星」を何度も描くことで、2クールEDのかをりが星のように輝くという映像が、僕には「死のイメージ」に見えた。
それは、何度も「月」が撮影される(月の光は一度死んだ光とも捉えられる)から、そのイメージが強い可能性がある。しかしながら、彼女の心身疲労については何度も直接的に描いたり、台詞として現れている。

・モブキャラ「見たあの薬の量?」(9話)
・手すりに手を重くのせる。ベッドへ倒れるように寝る。(11話)
・「死んでも忘れない」の発言(5話)
・栄誉は要らないという姿勢。みんなに向けてする演奏。記憶に残ること…
・検査入院(コンクール後倒れる)や再入院(14話)
・渡がお見舞いに本をもって行ったときの「こんなに読む時間がないよ」の発言(14話)

特に決定的だったのが、1クールの最終11話の蛍の演出。蛍は知っての通り、成虫になってから1〜2週間の短い寿命の生き物だ。それが、シーンの最後の台詞を際立てる。

「僕がいつもそばにいて、助けてあげられるとは限らないんだよ。」

チャーリーブラウンの名台詞を吐くシーンが物語の「自分自身で進むしかない」というテーマと、かをりの運命(「死のイメージ」)の二重性をはらんでいるのではないか?と考えた。

・公生が前に進むこと(闇→光)
・かをりが公生の前からいなくなること(光→闇)

が、時系列上、同時に進行していく。

瀬戸の「公生は失って進むのかもしれない」(13話)の発言があるように、「得る」と「失う」を同じスピードで彼は体感することになる。彼は障壁を次第に乗り越えて行くが、彼を引っ張る存在(かをり)も同時に、いなくなってしまう。

母親はピアノを通じて、彼に「愛」を捧げてきた。
かをりもまた、ヴァイオリンで彼に進む「勇気」を与え、そして、彼に「愛」を教えてくれた。
そして、彼もまたピアノで、誰かに「何か」を伝えていく表現者になっていくのだろう。

■終わりに
ここまでを見ていくと、彼は自分の中にある音のイメージを弾くことが出来る表現者への成長物語であり、障壁と向き合うことでその才能を著しく伸ばして行く。「失って進むのかもしれない」とあるように、これから彼が体験して行くことは、鬼の通る道になるだろう。原作未見組としては、今後の展開にヒヤヒヤとさせられながら、向き合って行きたいと思う。

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