『SHIROBAKO』第23話「続・ちゃぶだい返し」での”劇中劇”演出について

SHIROBAKO23話を見ました。”続”と付けられているように16話で起こった悲劇がまたムサニを襲う!という引きから始まる23話。以前からブログで書いていますが、ムサニが作るアニメーションが、本編の物語を牽引していくことが多いです。例えば19話では、現実を見始めたみゃーもりに対して夢を見せることで、この大変な現実も、もしかしたら夢に繋がった一片なのかもしれないと思わせる演出をしました。そして、23話ですが、まず本題に入る前に土台部分から書いていくと、ちゃぶだい返しをくらった木下監督は元デスク本田さんの協力のもと、原作者と対峙することになります。

ビルを前にして西部劇風にスタートし仲間の協力のもと上へ上へと登っていきますが、良かったのは西部劇風なのに、上に登るにつれて強者が現れるカンフーアクション映画っぽい仕立て方だったのが思わずニヤリとした。それをストリートファイターネタで倒していくのも面白い。西部劇とカンフーとゲームのコラボ演出が冴えてた。

それと原作者と監督の対峙。光と影の演出。電気がついているのに暗い会議室は、木下監督の不安な気持ちや原作者の過去のトラウマを表現しているかのよう。それと距離感が絶妙。意見が段々と噛み合っていくと部屋に光が灯り、その距離も次第に縮まっていく。立場は違えど、同じ表現者として意見が噛み合うまでのシークエンスは素晴らしかった。SHIROBAKOは制作過程をメインとし、作業と作業を繋ぐことで人と人を繋げていくが、さらに今回は踏み込んで原作者とも繋がった。点と点が繋がって線になる演出。茶沢の扱い方については賛否両論ですが、出版社でのシーンは活劇として面白かったので良しとしてる。

そして本題の”劇中劇”演出としての三女のアフレコシーン。野亀監督が自分を襲うメタファーといってるように、三女ではアリアが自分自身の問題を解決し希望を見つけなければならない。キャサリンの妹役にずかちゃんを採用するのは、木下監督の14話アフレコでのメモ「うまいかも」がここに繋がってくるし、キャサリンの妹が「アリアたちが守るこの世界で子牛を育てること」を夢と語っているように、ずかちゃんも夢の舞台にいる。そして、アリアが戻ると意思決定したときに「いま、わたし、少しだけ夢に近づきました」とずかちゃんに言わせるのが本当に素晴らしい演出。これは彼女自身が感じていることであり、彼女と役であるルーシーの気持ちが繋がった瞬間。ずかちゃん自身がアニメの希望になる。人と人を繋げるどころか、人(キャラ)と作品(アニメ)とも繋げてしまう驚異的な演出だと思う。

これはやろうと言っても簡単じゃないし、これまでの1話〜22話があったからこその23話であり、カンフーアクションのように塔の頂上を目指しつつアニメの頂上も見据えた演出だった。僕はSHIROBAKOが好きだから肯定的に捉えるけど、ノレない人はノレない演出かもしれない。どうしてもみゃーもりに感情移入してしまい、みゃーもりが夢を見て泣けば僕も同時に泣いてしまう。僕がなくしていったモノをみゃーもりが持っている気がしてどうしても好きになってしまう。

絵は一つの線を複数繋げることで表現するモノ。SHIROBAKOは、アニメ制作現場という人と人を繋げる仕事を舞台とすることで、夢を見させる。そして、作品と人を繋げてしまう。最後には視聴者自身が作品と繋がってしまうことを2クールでやってのけてしまう。とんでもない作品だし、もう少しで最終回を迎えるのが残念。プリキュアみたいに何年も見たい作品だな〜。

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