まどかの選択とほむらの選択/『魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』を再考する。※ネタバレあり

好きなキャラをフルボッコされた身としては気分が重かったが、数日経ちなんとか落ち着いてきて、もう一度『叛逆の物語』について考えてみる事にした。

■ほむらの創った世界とは?

冷静になって最初に考えた事は、賛否両論を引き起こしている結末について。つまり、悪魔化したほむらの選択についてと、TV版と劇場版『永遠の物語』で神化したまどかの選択についてだ。正直『叛逆の物語』を観たばかりのときは、ほむらの事を考えるだけで涙が止まらなかったのだが、少し冷静に考えてみるとほむらが創った世界の方が多くの人、特に主要人物が救われているんじゃないか?と思った。まどかが創った世界では、魔女ならぬ魔獣が存在しその中で魔法少女たちが戦い続けている世界である。まどかは「全ての魔女を生まれる前に消し去りたい。すべての宇宙、過去と未来の全ての魔女をこの手で。」と願い、魔法少女の救済にあたったが、実際にまどかが創った世界では、魔獣というバグのようなものが存在しており、結果的にほむらやマミ、杏子たちは戦い続けてしまっている。円環の理となったまどかは、ソウルジェムが濁って魔女化する前に魔法少女を救っているが、今度は魔獣がいるので根本的な問題解決になっていない。それにほむらは、まどかが存在しない世界でも一人まどかの記憶を持って戦わなければならないのだ。まどかは世界の全ての人の救済を願ったが、ほむらは救われていない。

それに対して、ほむらが創った世界はどうだろうか?あの映画の展開からは、どうしても納得いかない人が大勢いると思うが…
まず、円環の理にいたマミ、杏子については記憶改ざんにより全く記憶が残っていないし、円環の理の外(一部)にいた、さやか、なぎさについても記憶改ざんにより、魔女であった事を忘れさせ普通の生活をさせてあげている。まどかは”魔法少女→魔女”になることで彼女たちそのものを消滅させてしまったが、ほむらは消滅させることなく、日常生活に戻してあげているのだ。それに映画で描かれた描写だけに絞れば、魔女や魔獣は存在しておらず、誰も戦うことなく日常生活を過ごしている事がわかる。
では、そのバグにも似たものはどこに行ったのか?それは、ほむらが”キュウべえに罪を押し付けた”もしくは”ほむらがキュウべえと一緒に贖っている”のではないか?と思う。悪魔化したほむらは、去っていくキュウべえに「あなが必要よ」と捕まえほむらの世界に閉じ込めた。もともと魔女というのはソウルジェムが濁り呪いを生成して誕生するが、もしかしたらほむらの世界ではキュウべえにその呪いの処理を押し付けたのではないだろうか。元々キュウべえは、エネルギーを宇宙の為にどうたらと説明していたが、そんなことどうでもいいほもむらは、キュウべえが気に喰わないので、「だったら呪いを処理させてやろう」と思ったのでないだろうか。だから負のエネルギーを蓄えたキュウべえはボロボロになっているということではないか。ちょっと個人的な想像が多い分析だが、ほむらの創った世界は、それなりにバランスがとれた世界だと感じた。

■ラストの行動について

少し脱線するが、ほむらが最後にとった行動とは何だったのだろうか?ほむらは、ビル?の屋上で椅子に座って誰かを待っている。そこに、ボロ雑巾になったキュウべえが現れ、ほむらがその周りでオーブを浮かせながらダンスをする。そして、ビルから落ちた(る)ように見える。単純に見てしまうと自殺しているように見えるがどうだろうか…?また、ほむらが悪魔化したときにつくったオーブは何なのだろうか。僕が推測するに恐らく自分(ほむら)がまどかにかけたの因果の塊だと推測する。オーブに変換される前は、ピンク(まどか色)の糸であった。それを悪魔になる際に、自らのソウルジェムを砕き、ピンクの糸をオーブに変換。そして飲み込む。あの過程は、まどかの因果を全て自分で飲み込んだという描写で、ほむらが人間を超えてしまった瞬間でもある。
もし、ビルから落ちて自殺したとしたら、呪いを処理出来なくなったボロ雑巾(キュウべえ)を見て、もうこの世界は持たないと思ったのかもしれない。それが自殺にどう繋がるかは想像の域になってしまうが、例えば、ほむらが死ぬ事で呪いを全て消し去るとか、ほむらがまどかの願いに負けて、結局あの後、まどかが神化してしまうとか…考えても拉致があかないのでこの辺は誰かに解説して頂きたい。*1


■まどかはヒーローだったが、ほむらは人間だった。

ほむらが創った世界はバランスがとれていて、ほむらの周囲の子(特にまどか)が幸せになれる世界と考えると、とても人間的というか、純粋な願いだったなと感じる。対してまどかの願いは、人間を超越した願い事である。もともとまどかという子は、周りの人たちにとても大切に育てられた子どもである。まどかの母親が語っているように「悪い事をしない、いつも正しくあろうと頑張っている」子である。
TV版の6話「こんなの絶対おかしいよ」では、母親からのアドバイスで間違った行動に出てみようとしたが、これが大失敗に終わっている。人生経験と言えばいいのかもしれないが、さすがに後先考えずに行動し過ぎである。それはいつでも正しくあろうとしたというか、根がもともと悪い事が出来ない正直な子なのだろう。だから、最終話では正し過ぎる選択をしてしまうことになる。これは人間を遥かに超越した超人間的(ヒーロー)である。まどかの正しい行動は、10話『もう誰にも頼らない』の何回目かのループでも描かれており、さやかが魔女化してしまったところを初めて見たマミさんは血迷って(殺す順番見ると意外と冷静だけどね)仲間を殺すシーンがある。そこでまどかは、マミさんが狂ったと思い冷静にマミを殺す。中学生くらいの子があんな選択出来るか!というくらい冷静に正しい選択が出来る子どもなのです。対してほむらは何度もループする事で、誰よりも痛みを知っている(負っている)。だから、ほむらは魔女や魔獣の概念どころか、死んだものを現世に還し普通に生活をさせることさえも願った。「そんなのありか?」という掟破り感がありますが、僕はまどかのヒーロー的選択よりもほむらの願った「友だちが幸せになれる世界」の方が人間的で好きです。
*2

それにまどかはキュウべえに願いを叶えてもらうプロットを脱していません。対してほむらは、自らの力で力を奪い世界を改変しました。すごく強引ですが、自ら選び、自ら掴んだ勝利なのですね。それだけに、ほむらの気持ちを考えるとトラウマになりそう(もうなってる)ですが…
このハッピーエンドなんだかバッドエンドなんだかわからない感じは、デルトロの『パンズ・ラビリンス』っぽくもあるなと感じる。『パンズ・ラビリンス』も主人公の女の子が最後に死んでしまうという悲劇であるが、あの戦いで敗れたレジスタンス側としては夢にみた勝利の瞬間だった。ハッピーなのかバッドなのかはともかく、僕はほむらの選択と、それを実現させた精神に涙するし、これからもほむらファンでいたいと思いました。ほむほむ

前回のエントリー↓
その願い何度も繰り返しても…『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』※ネタバレあり - つぶやきの延長線上

個人的に良かったエントリー↓
2013-10-26
「次の新作でデビルほむらがグレードマジンガーと戦ったら…」で笑いました。笑
あなたのために 映画「劇場版 魔法少女まどかマギカ叛逆の物語」ネタバレなし感想+ネタバレレビュー カゲヒナタのレビュー
僕はまどマギが好き過ぎて、客観的に見れないことが多いのでこういう風に書いてもらえていると中々客観的に見るのに助かります。
2013-10-29
個人的に一番しっくりきたエントリーかも。

ー追記ー
「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語」をクラシックバレエから考察してみた - エキサイトニュース
【叛逆の物語 ネタバレ】ほむらラストシーン考察 - Togetter
何となく感じていたのが、これで補完されたかも。

■ラストの解釈について
本文で「魔女や魔獣は存在しておらず、誰も戦うことなく日常生活を過ごしている事がわかる。」と書きましたが、5回目観ていたときに、デビほむが「魔獣を全て滅ぼしたら…」的な発言があったので、ここに訂正致します。そうすると追記したバレがよりいっそう信憑性が出てきました。ラストは魔獣を倒しきり、キュウべえに蓄積された呪いをほむらが自殺して呪いを消し去ったと捉えた方が自然かも。それでまどかは一生普通に生活出来るエンドって結論に落ち着くと思います。ほむほむ

*1:ほむらは振り返ったときちょっと嬉しそうな顔をしていたので、まどかを待っていたのかな?とも感じられました。

*2:まどか役の悠木碧は劇場版のコメンタリーでいつも誰かに守ってもらっていたまどかは、恩返しの意味も含めてあの選択をしたと語っています。(水橋さんが「悪い男に引っかかる子にもこういう考え多いのよね」って言ってたのは笑った)