「まどか」と「ほむら」への罪滅ぼし?仮面ライダー『鎧武』46話を見た。

とうとう次回で最終回となる仮面ライダー『鎧武』。前回のエントリーでも散々書いたけど、これまでの虚淵玄の集大成のような作品になっている。それは、自己作品へのオマージュ。もっと言えば、元ネタがあって、それをオマージュし、更に何度も自己オマージュすることで作家性を見いだす。本日、放送された46話「運命の勝者」では、虚淵玄の代表作「まどマギ」の鹿目まどか暁美ほむらへの罪滅ぼしのような話だと思った。

先に45話までの主要キャラの設定のおさらいをすると、

・舞は黄金の果実と同化し、争いが起きないように過去や世界線を越え抗う。
・鉱汰は戒斗を止め、人を守る世界を望む。
・戒斗は世界を支配し、強き者のみが残る世界を望む。

元はライバル(仲間)だった二人が、違う未来を見つめ争う構造。二人の求めている世界のズレ、それを見守る他者という構造は燃える展開ではある。


【ここから46話のネタバレあり】



結局、鉱汰が勝つことになるのだが、最後にサガラが登場し「さあ、世界を滅ぼせ」的なことを言う。これは、破壊と再生のお話なので当然と言えば当然の要求。ただ、それでも鉱汰はこの世界を救いたいと”全宇宙の中から一つの星”を選択し、そこで、今の世界を続けるという。この、世界の傍観者との対峙は、「まどマギ」における、”まどか”と”キュウべえ”の関係とよく似ている。サガラはこのとき、その行為がどんなに大変なことかわかっているのか?と問いただすのだが、これは、キュウべえがまどかへ「概念のような存在になってしまう」と話しているところとよく似ている。


これはまさに、虚淵玄の自己オマージュにあたるのだが、鎧武では「まどマギ」とは違って一人に背負わせず、鉱汰と舞の二人で世界を守ろうとする。とても優しい選択だ。ただ、そもそも「黄金の果実」というアイテムが存在する世界なので、シンプルに考えれば、こうなることは予想出来たはずなのだが…完全に虚淵玄にしてやられた。というのは、虚淵玄は、オマージュや自己オマージュが多いので、それを過度に追いすぎる節がある。だから、根本的なことの見逃しや意識の薄れってのが発生する。これは、「虚淵玄Lives」でも語られていたことだったし、もう少し視野を広げる必要があった…


そうすると、虚淵玄の作家性とは本当は何なんだろう?という所に行き着くのだが、なかなか結論つけられない。ともかく、46話は自己オマージュはあるにしても、ちょっと変わった方向性に持っていった。個人的にはタイトルのように「まどかとほむらへの罪滅ぼし」のように感じた。世界を創造し直すという行為は一人ではなく二人でやるという優しさ、だろう。まあ「まどマギ」は「叛逆」のエンドロールで優しさ見せてくれたけど。「まどマギ」の境地まで行き着いたけど、最後は何を見せてくれるのか?「まどマギ」の先か、それともベクトルは違うのか?楽しみですね。

Fate/Plus 虚淵玄 Lives 〜解析読本

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