『魔女と呼ばれた少女』を観ました。※ネタバレあり

[あらすじ]
紛争終結の兆しがまったく見えない、コンゴ民主共和国。水辺の村でのどかに暮らしていた14歳の少女コモナ(ラシェル・ムワンザ)は、突如として反政府軍に拉致されてしまう。兵士としてゲリラ戦に駆り出される彼女だったが、亡くなった人々に導かれて戦いを勝利に導いていく。そんな亡霊が見える力に目覚めたことから、周囲から魔女として崇拝されるコモナ。しかし、ふとしたきっかけで自分がいずれ殺害されることを悟ってしまった彼女は、恋仲になった少年と逃避行を繰り広げることに。(yahoo映画より)

[感想]
紛争真っ只中の国では、大人・子供関係無しに戦争に駆り出され、行き場を奪われ何もわからずに目の前の敵を殺すしかない。
どんなに平穏を望もうが、自由は約束されておらず突如天災として事件が勃発し途方に暮れている暇もなく罪を犯していく。
今の日本であれば、家庭の事情はあるにしろ、個人の自由は基本的に尊重されているが、この『魔女と呼ばれた少女』の舞台のコンゴをはじめ、紛争国では天災のように突如事件が起こる。そこには選択権は何も用意されていない。

主人公コモナもまた、天災に見舞われ戦士となる為、両親を殺し、人殺しの教育を叩き込まれる。
教育と言っても、「銃は両親だと思え」と戦略・戦術・戦闘の訓練を受けるところか殆ど気合いと根性論で戦場に投入される。
相手は敵だと叩き込まれ、相手がどういった存在なのか?なぜ殺すのか?と何もわからずまま殺していく。
疑問は時間とともに風化していき、自分が生きる為にはこうするしかないと目的もない人殺しを続けてしまうのだ。
主人公コモナが亡霊を見始め仲間を勝利と導くこととなり魔女と呼ばれるが、亡霊を観るという現象は、自分でも知らぬ間に現実逃避をしているという事実なのかもしれない。
実際にコモナに惚れたマジシャン曰く、これまでに2〜3人の魔女がいたが最後は死んでいると話している。
何となくであるが、それまでの魔女ももしかしたら少女だったかもしれない。
少女漫画特有の空気感と言うもの存在するが、男性が思う少女というものは、どこか男の子とは別の方向を見ていてファンタジーにふけっているイメージがある。
パンズ・ラビリンス』(’07)のオフェリアも場所・時代は違うが、スペイン内戦で政府側とレジスタンスで揺れ動くなか、現実逃避をして妄想の迷路に迷い込んでしまっている。

そういったことからも、少女が幻想や妄想のようなものを通して何か危機をキャッチしチャンスに結びつけられているのかもしれない。
そしてやがて大人となり、そう言った純粋な部分が大人として抑制されるため幻想を見なくなる。ずっとその繰り返しをしていて、恐らくコモナの代わりも次々と出てくるのであろう。
また、白い雄鶏を探す・捕まえるシーンについても、全く正反対の陰鬱な亡霊登場シーンとなぜか重なり、この話は一種のファンタジーのような気がしてくる。

この話が人の作り出したファンタジーであればと切望するが世の中には日本人が知らない事実が山ほど存在している。
平和ボケしている日本人が少しでも、こういった世界があるのを知るのはマイナスではないと思うので是非鑑賞してほしいと感じた。

評価点:78点