西尾維新『悲録伝』 大いなるアホには、大いなる責任は伴わない。

冗長と言ってしまえば、そこで思考停止してしまうが、西尾維新『伝説シリーズ』はその冗長さを、逆に使いまくって強靭な物語にしている。そしてとうとう『悲痛伝』から始まった「四国ゲーム」も5巻目にしてやっと終焉する。(画像下から軽くネタバレ含みます)

今作はこの『伝説シリーズ』の根本が見え隠れする内容が含まれていた。それは、「最強とは何ぞや?」に言い換えられるのではないだろうか。わかり易い「最強」は、鳥山明の『ドラゴンボール』(以下『DB』)だろう。強い=パワーにそのまま言い換えられ、どんな頭脳戦を挑んでも強靭なパワーにねじ伏せられる。いくら「俺がベジータ様だ!!」と勢いよく勇敢に立ち向かっても、相手がそれ以上のパワーを持っていたら元も子もない。

頭脳戦を必要としないパワーゲーム。それが『DB』であり、ジャンプ系漫画の王道である。しかし、ジャンプには、それに対峙するように単なるパワーゲームで終わらない『ジョジョ』がある。ただ、『伝説シリーズ』は『ジョジョ』型だろうか?それも少し違う気がする。どんなに頭脳戦になっても、イレギュラーな存在であり続ける『空々空』は「運」がなくても生き残ってしまう。(ちなみに1回死んでる)相手が、魔法少女であっても、強力な魔法を諸共せず(大事なことなので、、1回死んでます)、彼は生き残ってしまう。

彼が生き残る理由を考えてみるとネタバレになるが、「大きすぎる力は扱いづらい」に至る。「大いなる力には大いなる責任が伴う」スパイダーマンではないし、みんなが一人一人が、ヒーローであるガッチャマンクラウズの定義とも違う。強靭な力を持った者の油断と、強すぎる力の扱いにくさが基本的な理由だとう。最強と言われた『黒衣の魔法少女』の一人、木使いのスタンバイは、エリートゆえの心の弱さによって自らの強力な魔法に呑み込まれてしまった。かつて『地球陣』を滅ぼそうと魔力で戦った魔女『○○○』たち。魔女である彼女から『地球陣』はアホと言われる。しかし、それがゆえに魔女たちは油断してしまい、誰もが恐れる魔女なのに負けてしまった。

魔女は転生する。しかし、何度やっても結果はいつも同じ。「ループもの」と捉えてみても、何度も繰り返そうとしても大抵は失敗を繰り返す。だから永遠に魔女は地球陣たちにはかなわない。リビングデットを操るジャイアント・インパクトがアホで、魔法に執着していないあたりから察するに、結局のところ「四国ゲーム」で言いたかったことは「大いなるアホには大いなる責任は伴わない」理論なのかもしれない。これだけ人を殺していながら、アホの大勝利だったのだ…

次は『悲亡伝』『悲衛伝』『悲球伝』『悲終伝』と続いていく…(あ〜頭痛くなってくる

悲録伝 (講談社ノベルス)

悲録伝 (講談社ノベルス)