「嫌い」だった映画もたまには再見してみよう『パンチドランク・ラブ』

今年から、どんなに時間が掛かっても自分のオールタイムベスト映画については、少しずつ書いていこうかなと思っていて、これが『牯嶺街少年殺人事件』ぶりのオールタイムベストエントリーです。ちなみにエントリーごと文体が違うのは、気分とかその映画に向き合う姿勢や気分によって変えているので、結構バラバラになっています。さて二作品目は、ポール・トーマス・アンダーソンの『パンチドランク・ラブについて。僕がこの映画が好きな理由のひとつとして、肩に力が入っていないということが挙げられます。前回の『牯嶺街少年殺人事件』が、実際に起きた殺人事件をモチーフにある少年の恋と死を描いた作風で、こちらの命まで取られてしまいそうになる”かいぶつ”のような映画でしたが、『パンチドランク・ラブ』には、たとえ疲労困憊のときでもフランクに何度も見られる。そんな魅力があると思います。

しかし、この『パンチドランク・ラブ』という作品は、ポール・トーマス・アンダーソン(以下よりPTAと書します)の作品群の中では、あまりいい評価を聞かない作品でもあります。彼のフィルモグラフィーの中でも長回しが非常に印象深い、ポルノ男優の人生を書き綴った『ブギーナイツ』。アルトマンの『ショート・カッツ』のオマージュに当たる『マグノリア』。親と息子の物語で「石油」巡る地味な題材を、レディオ・ヘッドのジョニー・グリーンウッドの劇伴で重厚に色付ける『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』あたりをベストに選んでいる人が多いとおもいます。確かに『マグノリア』以前と『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』以降では作風がかなり違いますので、間に挟まれた『パンチドランク・ラブ』は中途半端な作品に見れなくもないです。何を隠そう僕自身も初めてこの映画を見たときは、「内容のないクソ見たいな映画だ!」なんて思ったのを覚えています。今考えれば何を偉そうに…と思い反省するばかりなのですが、当時10代だった若造にはこの映画の良さが全く理解出来ていなかったということでしょう。

なぜオールタイムベストになったのか?というのは、PTAの『ザ・マスター』が公開される寸前くらいに遡ります。今でもそうなのですが、特別PTAが好きか?と言えば、好きな映画はあるけど、ぶっちゃけ好きな監督ではないと思います。『ゼア〜』は苦手ですし、先日公開された『インヒアレント・ヴァイス』も全くノレませんでした。ただ、『ザ・マスター』の映画の文法を取っ払ったようなひたすら強靭な画力で攻める姿勢は好きですし、『インヒアレント・ヴァイス』も、ノレないけど『ザ・マスター』以前とは全然違うし、新境地を目指しているのかな?と思うばかり。『パンチドランク・ラブ』を好きになったのは2013年の初め頃で、確か10年ぶりに見たんですね。そしたら、こんなに面白い映画だった!のかと、TSUTAYAで借りてきて三回連続して鑑賞してしまいました。

再鑑賞して思ったのが、演出のお手本のような映画だったこと。最初に鑑賞した頃は、なんか唐突な映画だな〜と思っていました。それもそのはずで、そもそもが『パンチドランク・ラブ』=「強烈なひとめ惚れ」が今作のタイトル及び作品のもつテーマだったから。まあ、僕は一目惚れしたことがあるようなないような…、な感じなのですが、街を歩いていて「うっわ、すっげえ綺麗な人だ…」と強烈に印象に残っていることはあります。それが好きに繋がってしまうのがひとめ惚れなんだと思うけど、この映画はひとめ惚れの唐突さを、何かが唐突に起きることで演出している。例えば、冒頭の車の横転事故や、ハーモニウムが道路に捨てられること。これは一目惚れの予兆である。そのあと、アダムサンドラーの前にエミリー・ワトソンが現れて文字通りひとめ惚れをする。その、ひとめ惚れする描写は、上手にいる彼女に朝日が覆いかぶさり、観客側には顔が見づらいように撮られている。これは彼が完全に惚れてしまい、衝撃のあまり、光を見ているような、とても強烈だったという演出だろう。ひとめ惚れした瞬間は客観的になれず、第三者には彼が彼女をどう見ているかがるのかわからないのだ。

この映画は唐突性で周り巡っている映画のため、彼が計画的あるいは期待して行動しようとしたときは、うまくいかないことが多い。彼女がハワイに行くと言ってからプリンを大量に買い占めるが、手続きに二ヶ月掛かると言われてぶちギレる。それと、少し期待したかしていないかは語られないのでわからないが、最初に姉に職場の女性を紹介すると言われてパーティーに行った時に、結局彼女は来ない(彼が来ないと言ったから呼ばなかったと推測される)こと、姉たちにバカにされたことでやっぱりここでもガラスを割りブチ切れる。エロ電話のようなところに掛けても結局は金を取られ、彼女に怪我をさせてしまう。彼は計画的に行動しようが、何かしら唐突な事件に巻き込まれる。

PTAは『ブギーナイツ』で見せた長回しが特徴とされていたが、本作で印象的な長回しはそこまで多くない。ポルノ電話に騙されて追われたときや、レストランを追い出されて彼女と二人で歩いて行ったシーンの長回しは美しかった。でも、特別それを抜き出して評価するよりも、やはり本作は唐突な演出に惹かれるだろう。それは撮影でもそうで、なかでも彼が電話先のチンピラに追い回されて逃げるシーンの突然のダイヴシーン。アダムサンドラーが焦りまくってなんだかよく分からない言葉を発しながら、横移動、ダイヴをした後に、突然と縦の構図になる。とてもインパクトがあり爽快感があるシークエンスだ。




(アダムサンドラーの見事なステージダイヴ…この高さとこの助走では例えライヴハウスでも怪我間違いなしなのでくれぐれも他人を巻き込まないように)

ただこう言った唐突性というのは、アダムサンドラーのデメリットだけで描かれていない。マイルの手続きに時間が掛かるときには、諦めて実費でハワイに行ったり、フィリップ・シーモア・ホフマンのところに乗り込んでいき負けを認めさせたりと唐突がメリットとしても描かれている。「禍福は糾える縄の如し」といった言葉があるように、何も人生は悪いことだけではなく、良いこともきっと起きるよと言われたかのように優しい映画だと思った。(アダムサンドラーが青いスーツ、エミリーワトソンが赤い服を着ているというのも磁石のS極N極のように惹かれ合うなかであるといった優しい演出だと感じる。)

パンチドランク・ラブ』は、僕が演出をより一層しっかり見なくてはいけないと思った映画であり、苦手だった映画が好きになった体験が出来た。好きになる過程は、ひとれ惚れと真逆の性質にあるけど、自分が思っているだけのことが全て正解ではなくて、今だにできているかはわかりませんが、もっと映画を紳士的に見なければならない。でないと、映画そのものに失礼かもしれない。人生で何年かに一度あるかないかの反省をした映画でもありました。まあ、嫌いな映画を無理してみる必要もないですが、気になったら見てみるのもいいかもしれませんね。