今更ながら『セッション』を見た。

今更ながらディスカスでレンタルして『セッション』見ました。今回は短めにメモ書き程度で。

原題『Whiplash』ということで、メタルオタク的にはスラッシュメタルを連想してしまうタイトルなのですが…菊池vs町山の殴り合いを見ていると、これはジャズでもスラッシュメタルでもなく、パワーヴァイオレンス?なのじゃないだろうかと変な期待をしてしまったのですが、見てみるとビックリ。なかなか面白かった。

『セッション』はジャズ(音楽)の素晴らしさを全く伝えようなんて微塵も思っていない。この作品での音楽の扱いは、あくまでも主題を円滑に演出してみせる舞台のような存在である。冒頭スタジオで一人ドラムを叩くニーマンをロングショット(廊下−スタジオをつなぐ直線)で捉えるように、本作では常に彼の”孤立”が描かれる。だからやたらと被写界深度が浅いショットが多いもの頷ける。彼は過度なフレッチャーの指導により、より奥深く自分の中に潜り込み孤独になっていく、そして、あるタイミングで口説き落とした彼女と別れてしまう。(重要なシークエンス)

そしてフレッチャー率いるバンドの重要なコンクールでニーマンは不運にもトラブルに見舞われ、急ぐあまりレンタカーで事故を起こしてしまう。そのコンクール後のニーマンはそれまでの彼とは違い何かから解放されたような顔になっている。これはフレッチャーからの解放だったのだろうか?(ここでニーマンはフレッチャーの指導について告げ口をしてしまう)
そしてニーマンはフレッチャーのバンドに急に誘われ、コンクールで練習していない曲をぶっつけ本番で披露し赤っ恥をかく。彼は一度舞台を降りようとするが、何を思ったかまた舞台に戻り彼がずっと練習してきた曲を無理やり演奏する。(舞台袖−舞台をつなぐ直線の反復)

ここからが巷で話題になっていた「9分19秒の衝撃」が披露される。ただ音楽的な見解としてはドラムをカメラ及び音響が正確に捉えられていない気がしたので、あまりすごいとは思わなかった。(ライヴのエモーションは引きでも十分伝わる)このシーンでいいのは、フレッチャーとニーマンのバストショットが混入されるように、アルドリッチ的な男たちの殴り合いを表現しているから「映画史的にも魅力的がある」というのが、まあ褒める人の感想じゃないだろうか。ただ、ニーマンが(何度か登場する直線の反復)舞台に戻ったことで、「主題」は簡潔しているように思えるし、あれは映画史的な魅力というよりもカタルシスを与える映画のサービスといっていいだろう。『ジャージー・ボーイズ』でいう最後のアレ。(アレ嫌いなんですけどね)

ただ最後のあれがカタルシスを与える映画のサービスだとすればもう分かりやすい。この映画の主題は「自己満足」だ。それはニーマンだけにかからず、あのコンクール会場でライヴを止めなかったフレッチャーやバンドメンバーたち、客席を立たなかった観客たちすべてが「自己満足」の念にかられていた。
何度か反復される直線を示唆するショットがあるように、ある”一線”を超えてしまった人たちの物語なのだ。そしてこの”一線”の演出には、彼が一方的に振った彼女とのシークエンスにかかってくる。このシークエンスは一方的にニーマンが酷いように思われる人が多いようだが、そもそも彼女とのエピソードが「デートに誘う」程度であり、彼が「自己満足」の世界”一線”を越える前の理性的な選択だったのだと思う。(よりを戻そうとニーマンが最後のコンクールに彼女を誘うが振られる)それが、最後の”一線”を越える演出に効いてくるのであって、なくては「自己満足」という主題がなかなかうまく働かなかったようにも思える。

『セッション』は「主題」を成立させる演出(孤立、反復)がうまかったし、アルドリッチ的な殴り合いが音楽の舞台で披露されるのはなかなかないことだろう。まあフェリーニの『オーケストラ・リハーサル』のように、もっと狂いまくった音楽映画が見たいという事実も少なからず残ってしまったのは残念な気もしないでもないが。でも、なかなか面白かったと思います。

ロバート・アルドリッチ大全

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