ロマンスよ、さようなら 『やさしい人』

『遭難者』『女っ気なし』で記憶にあたらしいギヨームブラック監督の『やさしい人』を見ました。

最近流行の芸能人の”年の差婚”なんて言葉がありますが、『やさしい人』も年の差が開いたカップルの恋愛話。お話は、中年のロッカーである主人公マクシムはある日、パリを離れ故郷に戻ってくる。そこで、地元の記者であるメロディにインタビューされ、アツい恋愛に発展する。年の差カップルのある冬のロマンスを描いた物語。

僕はこの映画について、”結果に対してどのように受け入れていくか?”と問われた映画だと感じた。そもそも、別にお金持ちでもない夢追い人である禿げた中年男性と、いくらでも可能性が広がっている若い女では、破綻するのが眼に見えている。実際に、マクシムがメロディを街中で迎えているシーンで、彼がキスをせがむと「人前ではやめて」と彼女は言う。激しい抱擁・SEXを繰り返したとしても、人のいる前ではなるべく避けたいという心理が働く。まあ、人前でイチャつくのは嫌って人もいるので、彼女自身がそういった性格であるような気もするが、わざわざこういったシーンを描くのだから、身を心も全て彼に捧げられるといったような状態ではないことがわかる。それと彼女にはサッカー選手の元カレがいる。若くてイケメンでスポーツマン。そんな彼の存在を気にして、マクシムはわざわざ彼を確認する為、練習場に足を運ぶようなことをする。このシーンは、マクシムの欠点というか性格が後に続く事件を招く決定的なシーンだと感じる。

マクシムは夢追い人であると同時に、どこか子供っぽいところがある。彼女を口説く一心にダンス教室に入って全力のダンスを見せたり、やたらキスをせがむシーンが多かったり、中年にしては交際の仕方が若い。逆に言えば突飛で勢いがある。そんな人が元カレとの関係に悩み、突如現れたら若い女が惹かれるのは無理がない。だけれども、メロディは幸せの絶頂にいる筈なのに「夏までには別れている。どうせ飽きて捨てちゃうんでしょ?」とマクシムに問いかける。

終わりが見えている恋愛。見え隠れする未来の結果に対して、どのように行動するのか。物語の中盤でマクシムが銃を手に入れる場面がある。一見すると、単純にその後の物語を牽引する為のシーンに見えるが、まさにそのシーンでは”結果に対してどのように受けて入れていくのか?”が語られていた。マクシムの友だち?(親戚?)は、「妻と別居したころ、一時期は自殺を考えたが…娘がいて僕は幸せだ。」と。彼はどうにもならない状況をなんとか自分の力で打破し克服したことを彼に話した。つまり、終わりが見えて、世界に絶望したとしても、俺は今生きているし、幸せだぜ?と問いかける。また、畳み掛けるような演出だが、マクシムの親父さんが女と逃げて母親から眼を背けたと罵倒するマクシムに対して、親父さんは妻の死に際、「腸も取り除かれた彼女のそばに最後までいたんだ。それなのにお前は数ヶ月で2回(3回かも)しか見舞いにこなかった」と諭すシーンがある。親父さんはそう言った絶望を経験しながらも、今生きているんだよと、そんな風に問いかけられている。

そして、終盤のあるシーンで彼女が「これが、現実よ。」と元カレに言い放つシーンがあるんですが、あのシーンでコレを言われたら、もうさよなら満塁ホームランを撃たれた後のピッチャーってこんな心境だろって感じの台詞でブラック恐るべしと感じた。あの台詞がひと時のロマンスだったんだな〜ということを際立たせる。また、カット割りでも”キス→SEX”、”彼女からマキシムを振るメールが届く→クローゼットを破壊する”と、途中がスッポリ抜けて行為・結果にすぐ移るという編集が印象的で、これも人の”受け入れ方”の演出の一つかなと思う。

また、ブラックはイントロの街の夜景やボートを漕いでいるときの風景など、思わずハッとするほど綺麗なシーンを混入するのがとてもうまい。また、対照的に、レストランの外から銃を構えるシーンや犬にクロロホムルをかがせるシーンなど、思わずギョッとしてしまう緊張感ある画面を生み出せる。犬との戯れなど、思わずクスッとしてしまうシーンも嫌みなく撮れるし、どんな映画でもさらっと撮れてしまう能力がギヨームブラックにあると思ってしまうほどだった。

最後に作品には直接関係ないですが、『遭難者』でも自転車乗りが出てきたので、ギヨームブラックは自転車乗りなんですかね?運動=青春映画に必要な要素であるっていう私的考えともマッチした。まあ、この映画は遅くに来た青春でしたが。とても良かったです。犬可愛かったし。おわり

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