本当に凶悪なのは‥?『凶悪』※ネタバレあり

[あらすじ]
ある日、ジャーナリストの藤井(山田孝之)は、死刑囚の須藤(ピエール瀧)が書いた手紙を持って刑務所に面会に訪れる。須藤の話の内容は、自らの余罪を告白すると同時に、仲間内では先生と呼ばれていた全ての事件の首謀者である男(リリー・フランキー)の罪を告発する衝撃的なものだった。藤井は上司の忠告も無視して事件にのめり込み始め……(yahoo映画より)

[感想]
『凶悪』は、「殺人事件」の見方について常日頃考えていることが浮き出されたような映画だなと感じた。僕らがTVや新聞、今ではウェブ上で殺人事件ニュースを見たとき漠然と「怖い事件だなー、巻き込まれないようにしよう。」と思うが、実際は「こんなこと自分の周りで起こるはずがない」現実味がなく他人事だったりする。それが、『凶悪』のように数年前の事件をジャーナリストが掘り起こし、「実はこの事件はこうだった!」と報道されたとしよう。途端に他人事だった数年前からは思いもしないような感情が生まれてくる。批評家は勿論一般人もこぞって批評したがるし、もしもこうだったんじゃないか事件の全容を映画やTVドラマ、アニメのように実在の事件を曖昧なものに自分勝手に変換していく。

『凶悪』は、ジャーナリストの藤井(山田孝之)の妻(池脇千鶴)が「私も楽しかったの〜」と作品のテーマを話しているように、普段僕たち(僕)が、”恐怖”と感じるべきことが”快楽”に変換されていき気づいたときには誰もが”凶悪”になり得る話である。

『凶悪』は大きくわけて3部構成のように作られている。1部は藤井が須藤(ピエール瀧)と接し、事件にかかわっていくまでを描いており、後に事件にのめり狂う藤井が普通の人間だったときの話である。2部はがらっと雰囲気が変わり、主に須藤と木村(リリー・フランキー)が起こした事件の全容が展開される。そして3部目は、藤井の事件への執着が描かれている。

単に映画的な感想として、2部は残忍な殺人について描かれているのだが、純粋に見ていて楽しい。特にピエール瀧リリー・フランキーだけ見ていてもエンターテイメント化してしまっている。『凶悪』というタイトル通り確かに”凶悪”ではあるのだが、映画的な快楽が展開されるため、観ていて時間を忘れる瞬間でもある。
しかしながら、この映画の”凶悪さ”で本当に言いたいことは2部目ではなく3部目にある。

それは、先に書いたように池脇千鶴が語るシーンがあるのだが、殺人事件をニュース側で見ている人は「怖い事件だなー」と他人事だったはずなのだが、ふと気づくと自分でも”凶悪”なことをしていたりする。藤井の妻は、夫が事件に執着し一向に帰宅しないので、ぼけた義母にたいして暴力を振るっていたと語る。誰しも”凶悪”になりえる瞬間であったし、問題を抱えていたにもかかわらず母を放っていた藤井自身も”凶悪”な存在である。

ニュース側であった存在が、気づけばふと自分そのものが”凶悪”側の存在になってしまう。これはとても怖い事だ。そして数年前の事件を一種のエンタメとして感じ、見てしまうことについても怖い。そんな人の内面をえぐり出すような”凶悪”な映画だったと思う。

そして父になる』では、リリーフランキーがなかなか良い父親像として描かれているが、『凶悪』ではまさに凶悪。どちらも観るのなら、先に『そして父になる』を鑑賞した方がいい。『凶悪』を先に見ていたら、『凶悪』のなかで一番”殺人”を楽しんでいる顔しているし、「何が父と子だ!」と思ってしまうだろう。なんたって人殺し中に疑似射精シーンなるものもあるんだから。

近年SNS、ブログなどが一般的に認知され、今では殆ど使った事がない人がいないのではないかという時代に『凶悪』のような未解決事件がぽっと明るみになると、プロは勿論、素人の単評がめまぐるしく顕在化されていく。
観賞後は、そのような簡易媒体を利用し、気づけば事件をエンターテイメントとしておもしろがっていないか?事件を他人事と思って、自分の周りでは何も起こらないと高をくくっていないか?そんな風に投げ掛けられているのではないかと感じてしまった。

こんな時代だからこそ『凶悪』という映画が生まれ興味深いなと感じた。