恋愛の不格好さ――デミアン・チャゼル『ラ・ラ・ランド』感想
恋愛に夢中になると「この人とどんな風に歩んでいくのだろう」と未来に希望を見出したり、本当にうまくいくのだろうかと、少し不安になったりする。もちろん、全てが上手くいくわけでもなく、喧嘩したりしまいには破綻することもあるだろう。あの時あーしてればよかった。こーしていればこんな風になったのかもしれないと、実現しなかったある未来を考え後悔することもあるだろう。『セッション』で話題となったデミアン・チャゼルの『ラ・ラ・ランド』は、ミュージカル映画といったふれこみであったが、実際のところはそういった恋愛についての映画だったと思う。
映画冒頭の高速道路でのミュージカルパートでは、ダンスを見せるというよりも、ダイナミズムを追求したかのように、ダンサーの動きをカメラが車と車の間を縦横無尽に追いかける。逆光やそれによるレンズフレアでダンサーが見えづらいのもお構いなし、カメラがブレるのも気にせず、ただひたすらにキャラクターを追うことに徹する。そのシーンからは『セッション』でのマイルズ・テラーとJ・Kシモンズによる、まるで喧嘩のような9分の演奏と同じように、カメラは音響と動作の節合性よりも、多少不格好でもダイナミズムを優先する姿勢と似たような印象を受けた。*1
ただ、『セッション』と大きく違うのはこの見せ場といえる冒頭のミュージカルシーンにおいて、主役であるエマ・ストーンとライアン・ゴズリングは登場しないことだ。ミュージカルシーンが終わり、カメラがグーッとライアン・ゴズリングの車に寄っていき、エマ・ストーンとのとてもいいとは言えない出会いをおさめる。まるで夢のようなミュージカルシーンから一転して、印象の悪い出会いを見せて現実に引き戻すといった演出。ミュージカルシーンがとてもいいとはいえなかったので、正直なところノレなかったのだが、この映画は恋愛における「不格好さ」というものについて描いているのではないか?とも思えた。と、いうのも例えばデートで『理由なき反抗』を見にいったときでさえ、エマ・ストーンは遅れてやってきて画面を遮ってライアン・ゴズリング探して見つけるが、上映トラブルで中止となってしまうというくだりがある。単に映画のオマージュをサンプリングしているのではなく、好きな人と初めて見る映画はなんかフワフワしてしまう…といった体験談からなっているようにも思えてくるからだ。
※ここから結末について触れています。
その他にも確かにオマージュというものは存在するが、映像快楽があったかというとピンとこないものが多い。キャッチ―な音楽とめまぐるしく展開する恋愛事情。まるで既に終わってしまった恋愛を思い出して再構築していくような感覚。そういった「不格好さ」がこの映画には存在した。とても巧いとはいいがたい。でも、これが悪いと一言でいってしまうのもなんだかむなしい気もしないでもない。物語のラスト“あり得たかもしれない未来”を想像する。お互いに成功した結果、2人は離れ離れとなり関係は終わってしまったが、こんな光景もあったのかもしれないと。変に執着したり、今ならやり直せるのかもしれないといった可能性は全て捨て去り、感情を秘め去っていく。
とても巧い映画だとは思えなかったし、正直なところピンと来ることは少なかったのだが、この「不格好さ」を不格好に描いた恋愛映画をどうしても嫌いになれなかった。映画の形式的なところから離れていって個人の体験と結びつくような映画。それと、ある音楽がキーとなり人と人を繋いでいくといった装置的役割にポロっと泣かされてしまうのもあったかもしれない。なんだかんだ最後まで楽しめました。
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*1:そもそもダイナミズムを生み出すのも技術だという話もあるが