スティーブン・キジャック『WE ARE X』感想

ティーブン・キジャック『WE ARE X』鑑賞。

DAHLIA』から既に21年経ちアルバムを作るんだか、壊しちゃったんだか、そんなことばかり持ち上げられるYOSHIKIですが、長年のファンとして『WE ARE X』は足を運ばざるを得ないというか、見なければならない義務というか、様々な感情が入り混じってしまう。結局、素直に見てきたのだけど、一言でいうとすごくよかった。ちょっと『WE ARE X』に触れる前に『ラ・ラ・ランド』でよく言われることについて軽く。

自分でもなぜだかよくわからなくて論理的に説明できるわけでもないんだけど、周りの人もいっているのでそうなんだと思うこと。『ラ・ラ・ランド』って恐らく個人的な恋愛体験の映画のように感じられた。もう終わってしまった恋バナ。そんなものを逆算して再構築して、ミュージカル映画という隠れ蓑に隠して、大きくハッタリを使ってアカデミー賞ノミネートまでたどり着いたのではないか?と思った。わざわざ、エマ・ストーンが遅れて『理由なき反抗』に入場して画面なんか関係なしに、キスムードになってトラブルで上映さえ終わってしまうというくだり。もう、こんなふわふわしたデートだってあるよね?って感じのやつ。

それらを見ていてなんとなく「自己体験」なんだって思った。それで『WE ARE X』がどうだったかというと、観客の体験した記憶を再構築して現代にアップデートしたって思ったわけ。「自己体験」を表現した『ラ・ラ・ランド』とは手法が逆だけど、観客の「自己体験」を表現したって感じで似ているなと。それでなんでそれが上手くいったかというと、スティーブン・キジャックがオファーを受けた時にXのことを知らなかったことが功を奏したと推測する。良くも悪くもXはとてもドラマチックなバンドだった。今であればベビメタちゃんのように「へヴィメタルxアイドル」のようなグループもメガヒットがあるような時代であるが、インターネットないような80年代ではこのようなバンドはイロモノに見られた。そんなバンドがメジャーで大ヒットして紅白に出たり、衝撃的な解散をしたり、メンバーが亡くなったり……と話題につきることがなかった。

だから想い入れが強ければ強いほど、このバンドのドキュメンタリーを撮ろうなんて思うこと自体がつらくて仕方ない。自分の内面を覗いていかなければならない。少なくても自分には無理だなと思ってしまう。キジャックはX JAPANを知らなかったので、その分、客観的に考察ができたのではないか。そんな彼もXに興味を持ってしまい(wiki情報なので正しいかわかりませんが)、「この映画の製作が終わったら、私は音楽ドキュメンタリーをやめなければならないかもしれない。X JAPANの物語はあまりにもドラマチックでこの後、どう作ればいいかわからない」と語っているらしい。それだけ人を魅了するパワーをもったバンドだ。

『WE ARE X』のあらすじを簡単に書くと、2014年のマディソン・スクエア・ガーデンでのライヴに至るまでのX JAPANの人生(というよりYOSHIKIの人生)を丁寧に振り返りどのようにして一度は挫折した世界に羽ばたけたのか?といったような物語だ。キーなのはX JAPAN全体にスポットを当てるのではなく、YOSHIKIを中心に物語を組んだといったところだろう。病弱だった子供の頃の話、父親の自殺、TAIJIへの宣告、TOSHI脱退、バンドの解散、hideの死、とYOSHIKI視点からの振り返り。僕がX JAPANのファンになったのは96年の頃だったので、以前については後から調べて知った事実ばかりだが、解散からhideの死といったことは体験として残っているので、まるで自分の記憶めぐりをしているかのような気分になった。

またよかったことは無理に詰め込まないで93分で抑えたことだろう。それと編集がとてもよかった。正直あまり冷静な気持ちで見れていないので、どこがどうつながってとか記憶が定かではないのだけど、物語ることだけに終わらず、ダイナミックさを欠かさずに編集されていると思った。YOSHIKIがhideならこんなフレーズを……と語っているシーンや、YOSHIKIとTOSHIがスタジオで思い出話をしているシーンなど、ほんとに幸福感に包まれるというか、温かい気持ちになるくだりも存在した。

Xはその壮大な物語や、今回の『WE ARE X』が着目したように「死」についての事柄が多いことがわかる。演奏スタイルやライヴスタイルについてもそれは同じことが言えるだろう。インディーズ時はジャパコアの暴力性や繊細な情感と、メタルのスピード感をごった煮して、デーハーにヴィジュアルを固めたスタイル。この映画でも触れられているが、「殺気立つ」「生き急ぐ」といったことが音楽性からも伝わってきている。それからメジャーデビューした『BLUE BLOOD』(1989)からは、クラシック出身のYOSHIKIの音楽性が見え隠れして、『ROSE OF PAIN』のような壮大な曲も演奏されるようになる。それから続く『Jealousy』(1991)は、それをもう少しアルバム全体に行き届くようにして、現時点での最新アルバム『DAHLIA』(1996)では激しいメタルナンバーよりも、バラードが増えていった。『DAHLIA』では「生き急ぐ」ようなことはなかっただろうが、タイトルソングの『DAHLIA』はまさに、「破壊」と「美」が共存したような曲であり、激しい中にも繊細なメロディ。どこか凍りついたとても冷たい「死」が見え隠れする曲だと思う。

そんな「死」に対しての物語や音楽性というものが、この映画にはたくさんつまっていて、それが過多にならずハマっていてとても素晴らしい作品だと思った。正直に書いているつもりだけど、hideのくだりのときはわかってても涙が止まらなかったし、TOSHIが戻ってきほんとよかったねYOSHIKI!って感じで後半ほとんど泣いてた。97年の解散時には小学生だったのでライヴにいけるような年齢でもなかったのだけど、特にhideが亡くなってからは後悔していた。初めて好きになったバンドだし、今でも世界一かっこいいと思っている人を見ることなく生きていかなければならないのは死ぬほどつらかった。ただ、08年の復活時にはなんとか見ることができてある程度気持ちの踏ん切りがついた。それから早9年が経つ。ほんとに早かった。多分、僕はもうXのライヴを見に行くってことはないんだろうけど、こうやって世界に羽ばたいて新たなファンを獲得するのはいいことだよねって素直に思う。

彼らももう歳ですし、バンドにしろ音楽をやっている人たちってのは、ほんとにいつ見られるかわからなくなってしまう。だから、ちょっとしたきっかけでも興味を持ったら音源聴いてみるとか、現場にいって音楽を体験してみるってのを全力で勧めたい。あとから後悔しても、二度と体験できなくなってしまうので。というわけでとてもしんみりした幕引きとなりますが、『WE ARE X』はそんな想いをめぐらせてくれるほど、素晴らしい映画だったと思います。親切な映画だと思いますし、X JAPANを知らない人でも見やすいんじゃないでしょうか。では最後に。

「PSYCHEDELIC VIOLENCE CRIME OF VISUAL SHOCK


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