ケント・マッケンジー『The Exiles エグザイル』(『異郷生活者たち』)覚書

先日東京へ帰省したタイミングと合ったのでPFFにてケント・マッケンジーの『The Exiles エグザイル』*1を鑑賞した。この作品アメリカではソフト化されていますが、日本では発売されていません。海外盤は字幕もないのでいいタイミングで見れたと思う。

先に結論を書くとメチャクチャ面白かったです。夜の街で仲間たちと繰り広げられるバカ騒ぎモノとしても素晴らしいですし、画面設計も完璧だったんじゃないでしょうか。同時上映で先にアンドレ・S・ラバルト、ユペール・クナップの『我等の時代の映画作家シリーズ ジョン・カサヴェテス』というカサヴェテスにインタビューしたドキュメンタリーも上映したのですが、『アメリカの影』の映像が途中でインサートされていた。人種の違う人たちの生活を記録したフィルムといった意味でもそのドキュメンタリーを上映したのはなかなか興味深い。

ケント・マッケンジーの『エグザイル』ではネイティブ・アメリカンの生活がおさめられている。映画の冒頭でネイティブたちの顔が次々に顔から顔へといったショットで繋げられ、物語は現代のアメリカでの生活へ移行していく。そして現代のネイティブ・アメリカンのナレーションで物語が始まる。ナレーションはシーンによって語り手が変わりますが、主にはお腹に子供を宿したネイティブ・アメリカンの女(妻)がメイン。この妻役の女優がものすごくいい。

夫は毎日のように仲間たちと酒を飲み歩きといった生活をしており、定職にも就いていない。面白いのはこの夫婦の家にネイティブ・アメリカンの仲間たち(夫の友達)が、まるでそこに住んでいるかのように遊びにきているのだ。最初どれが夫なんだろう?と考え込んでしまうほど家には仲間が集っている。妻はナレーションで「夫が外に遊びに行くのは嫌だ。家にいてほしい」と何度も呪文のように話しているが、そんな願いはかなわず、妻は映画館に置きざられて夫は仲間たちと夜の街へ遊びにいってしまう。そこでは女をナンパしたり、夜の街を爆走したり、因縁をつけて喧嘩したり、ギャンブルをしたりと、ようは屑野郎の集まりなのだが、何にせよ行き当たりばったりな行動が本当に彼ら(ネイティブ)の行動を“記録している”ようなドキュメンタリー映画に思えてくる。実際のところ下記説明によると、ケント・マッケンジー自らネイティブを理解しいつもの生活と同じような行動をさせていたらしい。おそらくそういったことでドキュメンタリー映画のような質感を獲得しているのだろう。

ロサンジェルスダウンタウンで生活するネイティブ・アメリカンの若者たちの、金曜の午後から明け方までを描く。監督は時間をかけて彼らと交流、居留地から離れた胸の内を引き出し、それぞれ本人役で普段の生活を演じさせた。1961年のヴェネチア国際映画祭で高く評価され、2008年に修復版が完成。傑作発見!『The Exiles エグザイル』|第38回PFF ‐PFF公式サイトより

夫たちが遊んでいるなか、妻は映画館でぼーっと映画を見て友達の家に泊まりに行く。クローズアップされる彼女の顔が何とも言えない表情。充実感でも虚無感でもないような“ただそこにいる”だけといったような顔なのだ。恐らくケント・マッケンジーはこの映画を撮るさいに「顔」は大切だと考えていたのではないだろうか。それほど「顔」にまつわる印象的なシーンが2つある。1つ目は彼女が冒頭買い物をしているシーンでおもちゃの人形を見ていてシャボン玉が彼女の顔にあたるシーンがある。以後、殆どのシーンで感情のないような表情をしているが、ここではすごくびっくりしていて魅力のあるシーンになっている(ワンカットで映しているのも面白い)。また2つ目は(恐らく)彼/彼女の故郷のシーンで、ネイティブのひとりがもうひとりの男の顔に何か豆?(ゴミかも)のようなものを投げて当てるシーンがある。シャボン玉のシーンとは違いここではカットで割って撮影されているのが面白い。どうもこういった顔のシーンが、金曜の夜から始まり土曜の朝に終わる映画にふさわしいというか、普段と何も変わらない日常が確かに“そこにある”と主張しているのではないかと感じさせた。

突然の喧嘩やある丘でのパーティーと魅力的なシーンが山のようにあるが、もっといえば何もないシーン。過剰さのない余白を感じるシーンがいい。そういったシーンのレイアウトが上手く設計されており、例えば高台へいく列車(バス?)を何度も映す。先住民であるネイティブアメリカンが高地や低地を自由に行き来していたこと(そういったナレーションもあり)から、こういった過去から現代の移り変わりを表現しているよう。また大きくて長いトンネルや、ラストシーンの夫たちを捉えるロングショットと妻の顔のモンタージュと、どことなく「何か」を残していくようなシーン。空間に余白を与え、見ているものに何かを考えさせ、映画に広がりを与えるシーンに見えた。魅力的なシーンはいくらでもあるが、主題に対するレイアウトや映画的技法を駆使してしている点からいっても素晴らしい映画。

自分はどうも映画だからといって劇的な展開を期待するよりも、こう何かを願いながらもその空気にあらがえないというか、日々の日常が続いていくだけの世界。想いが残留していくような瞬間を目撃したいのかもしれない。


Amazon.com: Kent MacKenzie

*1:以前の恵比寿映像祭時には『異郷生活者たち』のタイトルとして公開されていた。個人的には原題をカタカナにするよりもこちらの方がいいような…