現実と虚構の揺らぎ/森達也『FAKE』を見た(感想)。

森達也『FAKE』を見た。

今年のドキュメンタリー映画は豊作で、既に『ヤクザと憲法』、『ローカル路線バス乗り継ぎの旅 THE MOVIE in 台湾』などの傑作が公開されている。森達也の『FAKE』もそこに加えることが出来る傑作だ。

本作は2014年にゴーストライター事件でボロカスにされた佐村河内守に迫ったドキュメンタリー。普段あまりテレビを見ていないので「佐村河内守って誰だっけ?」とった距離感だったんだけど、それでも問題なくめちゃくちゃ面白かった。内情を知らない僕も楽しめたこの映画は、佐村河内守を擁護するように作られているわけでもなく、とにかく面白く撮れればいいといった思惑で作られているんじゃないだろうか、と思った。

この映画は殆ど、佐村河内守の家の中で撮影されているんだけど、佐村河内守自体が面白くてコメディ映画を見ているようだった。例えば、奥さんと食事をしているとき、なぜか食事に手を出さないで豆乳ばかり飲んでいる。そんな時に森達也が「何で食べないの?」と聞くと、「いや、豆乳大好きなんですよ!」と答えるもんだから、思わず爆笑。またある時は、「本当に聞こえないの?演奏できないの?」と聞かれると、「本当は撮って欲しくないけど…」と頬を叩いて演奏して見せる佐村河内守!これだけ聞いても実にチャーミングで面白い人だな〜といったように撮影されていて、佐村河内守を知らない人が見ても単純な面白さを感じられる。

そして肝心のタイトル『FAKE』であるが、「フィクションとドキュメンタリー」のちょうど真ん中の「これは一体どっちなの?」と思う瞬間が記録されている。年末の特番で出演させたいと、佐村河内守の家に訪問する共同テレビ(だったかな?)の連中が、佐村河内守にお願いしているときの何とも嘘っぽいコメディ調の人物模様。真剣になれば真剣になるほど、バカバカしい画面になる面白さ。「現実/虚構」の境界線の揺らぎが感じられるシーンだった。またその後、出演を断った佐村河内守がその特番を見ていると、新垣隆が我が物顔で出演しており、完全にネタ扱いされている。佐村河内守が「出演しなくてよかったなー」と安堵感の表情を浮かべるのだけど、森達也がここで一言。

「テレビは想いや思想なんかなくて、使える素材をいかに面白く表現するかだから、面白ければいいと思っている。佐村河内守さんが出演していれば多少違ったようになっていたと思うよ。」*1

それを聞いた佐村河内守は真剣な顔で考え込む。でも、このコメントは映画自身のことを差しているようにも思えないだろうか。映画のなかで森達也佐村河内守に話している事柄にはあまり嘘はないと思うし、あったとしてもそれは別に悪意があるものではないだろう。ただ、本作あくまで「映画」を目指しているので、森達也佐村河内守との距離感を感じたのかもしれない。実際に森達也はドキュメンタリーを撮っていると対象者を傷つけると語っているし、自分のHPが減っていくとも。だから生活のことも関係しているが、なかなかドキュメンタリー映画を撮れないと語っている。

森達也ドキュメンタリー映画の特徴的な「現実/虚構」の境界線の揺らぎのようなものを自覚的に撮っているように思えた。数年間にわたって撮影したわけであるが、かならず訪問シーン「玄関(扉)」から入るシーンを記録している。これは鑑賞者に映画に没入する感覚を与えることができ、より佐村河内守に対して身近な感覚を覚えるだろう。そしてもちろん玄関からカメラを回すことで家の外で起きていることも描写できる。

ある日、森達也佐村河内守の家に訪問しようとエレベーターから降りると、佐村河内守の家の前に警察が立っている。ここで「佐村河内守は一体何をしたんだ?(巻き込まれたんだ?)」と色々と考えるのだが、どうも家の前の消火器がいたずらで落とされていたらしい。奥さんに聞くとそんなことが頻繁に起きているらしい。玄関のシーンをカットしないことで、佐村河内守に寄り添った視点のみならず外からの視線(批評性)を持たせることに成功している。これは事実を編集によってうまく利用しているということだ。そして玄関の扉が佐村河内守の部屋の扉に移る終盤。森達也が「音楽やりませんか?」とけしかけたことから、部屋にこもってシーケンサーを弄るようになった佐村河内守。ここでも部屋のドアから入るシーンが撮影されている。光を浴びた佐村河内守の影は神々しく、ぶっちゃけかっこいい。今までの佐村河内守とは何か違う…そういった「変化」をここでは記録しているのである。そしてラストシーンの真意。「現実/虚構」から「光/影」への転換へ。

森達也はこの映画では白と黒ハッキリつけたいわけではないと語っている。それはタイトルの『FAKE』が示すように、どこからどこが嘘なのか、すべてが嘘なのか、真実は誰もわからない。だからあのラストに落ち着く。「黒白写真」が黒と白のみならず、階調が存在するようにこの映画にもその間の灰色の部分が存在する。何が真実で何が嘘なのか、ドキュメンタリーと劇映画の間を自由自在に行き来する途方もない映画だと思った。それと最後に、猫が最高にかわいいです。

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森達也の夜の映画学校

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*1:台詞は多少違うかもしれません