21世紀って生き辛い…『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』※ネタバレあり

「21世紀の吸血鬼って生き辛いな…」

『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』は、何世紀にも渡って生き続ける吸血鬼を通して、生と死というものを考えさせてくれた映画だったと思う。

まず、現代吸血鬼の生き辛さが物語全体に染み渡っている。何故生き辛いか?、それは「人から直接血を奪う」なんて既に御法度の時代になっているからだ。それでは、どうやって食料=血を確保するかと言えば、医療施設に夜な夜な忍び込み、医者から直接購入するという吸血鬼らしからぬルートでしか購入することが出来ない。生きるのに血が必要だが、人を襲うのが御法度になった世界、襲いたいが我慢するその矛盾を彼らは心のなかに抱えこんでいる。だから、知らぬ街角で血を流して倒れている美味しそうな人間がいても彼らはぐっとこらえなきゃならないし、いくら美味しい食事でも一回での血の摂取は最低限に抑えなきゃならない。世界人口はどんどん増え続け70億人を超え、彼らにとって食料が増えるということだが、好き放題食べられない矛盾と葛藤しながら生き続けている。

その矛盾を抱え込んでいるからか、作品全体がすごく退廃的な雰囲気となっている。過去は、人を喰えるだけ食殺していたんだろうが、今では食事にも不自由している。そんな「過去の栄光」という問いかけには、夜な夜なのデトロイトのドライヴ風景と言葉が思い出される。「世界で一番美しい車を作ってたんだ」、「過去には3千〜4千人入った美しい劇場だったが、今は駐車場だ」(台詞は間違っているかも)と、今年財政破綻したデトロイト街並と矛盾のなか生き続ける吸血鬼たちを対比させることで生と死をぐっと体感させる。
「美しいものは儚い」と書くと、Vロック系の歌詞でありそうだが、吸血鬼たちは人間作り出した文化を愛している。特にアダムはヴィンテージの車、楽器を愛していて更に音楽活動まで行っている。アダムとイヴの会話を聞いているとどうも歴史上人物たちに曲を提供したり、もう一人の老いぼれ吸血鬼は作家であったり、人間界の歴史に深く関わっている事がわかる。
しかしながら、それほどまでに人間の文化を愛し、裏工作しながら反映させながらも彼らのことを「ゾンビ」と呼び毛嫌いするところがある。アダムは一言で言ってしまえば根暗だ。「美しいものは儚い」と文化的なものを愛しているが同時に、死を体感させるもののそばにいるということになる。愛したものが儚いもの、そんな矛盾。いや、矛盾だから愛しているのかもしれない。だから彼の眼に映るものはとても儚くて美しい。

そんな彼らのところに、イヴの妹(ミア・ワシコウスカ)が現れる。このミア・ワシコウスカが小悪魔的に可愛過ぎて、ふとリアルに引き戻してくれるのだけど、見事にアダムとイヴの間を引っ掻き回す。
退廃した世界観、デトロイト、劇場…この映画はジム・ジャームッシュの私的映画と聞いた。恐らく彼の人生が繰り広げられているんだろうか?だから、ミア・ワシコウスカは現代の若い子的な役柄で存在で、欲しいものは奪うし人間を喰う。吸血鬼と人間をゾンビと呼ぶ儚いファンタジーな映画なのに、ミア・ワシコウスカがやたらリアルな存在だなーと感じたのは、私的映画ってのがキーになっているかもしれないと、後になって秘宝のトム・ヒドルストンインタビュー読んだらそう感じた。


(この瞬間は俺と変わってくれ!と願った。これも儚い)

生き辛い世の中になっても永遠に生き続ける吸血鬼。黒字のスクリーンに赤字のタイトルがぱーっと映し出され、「ああ、もうこれ傑作だよね」なんて思っていると、吸血鬼が永遠のように生きるからか、カメラは回るし音楽も回り続ける。深夜徘徊を行い、儚い人間の文化の崩れた様を目撃し、今後も続くのかと息苦しさを感じずつも、イヴは「デトロイトはまた繁栄するわ」(台詞保証無し)と言い放つ。タンジールでは才能の卵を発見し、有名になるのはもったいないと思いながらも見守ってしまう。

「生き辛いなと」思いながらも、なんとかギリギリ生きている。僕は、まだまだ若いが「生きねば」と小さく思うのでした。あ、それとティルダ・スウィントンの美乳が拝めるので傑作ですよ!(あんなに綺麗なのに53歳…!)残念ながらミア・ワシコウスカちゃんは脱ぎませんが。