富田克也『国道20号線』(2011)感想

曇天模様の空を見上げながら肌にベタっと張りつく湿気に思わずしかめ面をする。「名古屋の夏がやってきた」と、先日からクーラーをつけ始め、人類はなんだかんだすごいのだなと感心していたが、その文明をもってしても景気は一向によくならないし、世界がいい方向に向かっているとは到底思えない。そもそも生きていくなかで“いい方向”といったものが何を指すのかもわからない。結局のところ、この世界には指標なんて存在しないのだ。手探りで生き残っていくしかない。さて、先日見た『国道20号線』は、山梨県を舞台とした映画である。元ヤンのヒサシは消費者金融で金を借り、パチスロで生計を立て、シンナーを吸いながら生活をしている。富田克也は『国道20号線』後に『サウダーヂ』(2011)を発表しているが、本作と同様に山梨県を舞台としている。どちらの作品も海のない山に囲まれたその土地柄なのか、行き場のないフラストレーションが画面に充満し、地方の閉塞感が漂う作品だ。*1

http://www.mammo.tv/interview/archives/no295.html

富田は何年もリサーチをして『サウダーヂ』を作り出したという。本作は『サウダージ』に比べると粗削りな部分があり、奇妙な編集やシーンが目立つが、地方の街を意識的に撮っていることもわかる。消費者金融の看板やドン・キホーテ、ラブホテル、ファストフード店、ゴルフ練習場…。そして、国道。20号線は東京と長野をつなぐ国道だ。時に渋滞してみせる国道であるが、そこに主人公を横切らせても物語は動かない。ましてや主人公は自発的に動くわけでもない。結局は流されるままに身体をゆだねてしまう。うさん臭い友人の誘いに乗ってゴルフクラブセットを販売してみるが、実際のところ、つぶれたゴルフ用品店から安く引き揚げてきた製品を売って転売(流すこと)しているだけなのだ。それさも売りつけようとした客に把握して足元を見られてしまう。結局のところ何もうまくいかない。

意識的に動かないということは彼が吸うシンナーで見る幻影もそうだろう。彼女が薬物(覚せい剤?)によって死に至ってしまうが、彼はそのあとにバイクで爆走する。劇伴で流れる不協和音によって、彼が語るあっちの世界が表現されているようでもある。この映画は少し突飛なところがあるが、意図は明確でわかりやすい作品になっていると思えた。といったものの面白い作品とは思えなかった。意図もわからないことないが、ラストのバイクと不協和音が身体を振るわせることもなく退屈だった。『サウダーヂ』や『バンコクナイツ』ではこのような感覚はなく楽しめたのだが。闇金のくだりや時代観といったものが、本当に2007年に発表された映画なのか?と思うほどズレていたように感じた。ただ、それは狙っていたのかもしれないが…。あまりにも作品と作者の距離感が近すぎるような印象を受けた。意図された記号が的確に表現され、映画の持つ記録としての価値観は感じたのでプラスマイナスゼロってところだろうか。

*1:また『サウダーヂ』では、キャラクターを三角形の構図に置いて“あえて”画面が狭く撮影され閉塞感を際立たせている。