トラヴィス・ナイト『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』覚書

血肉を失った骸骨はダンスするように軽やかに動いて見せることができるはずだ。それが物語に縛り付けられた骸骨なのだろうか。骸骨がダンスして見せない。「口承」という嘘か誠かわからない物語でさえ、継承されていく芸術がこんなに鈍重な骸骨を出していいものなのだろうか。巨大な生物と戦うのであれば、腕や身体をスイスイと駆け巡り脳天に一撃食らわす快感を忘れてはならないだろう。危機一髪逃れたキャラクターが洞窟から出てくるのであれば、その重い歴史を背負った洞窟は原形をとどめず崩壊すべきではなかっただろうか。『コラライン』を世に放ったスタジオだけに姉妹が降臨してくるシーンはホラー的に素晴らしいと思ったが、その後、アクションに転じるとカメラのポジションが悪いと気づく。「ストップ・モーション」が売り言葉ならば、それが言い訳になってしまうのだろうか。よく動くことと、「動いた!」という感覚は別次元に考えられよう。父母の「視線」を重視するのであれば海上と海底の戦闘シーンにまともなクロスカッティングを導入して場を盛り上げられないものだろうか。特に人を魅入らせられる巨大な目玉が相手ならなおさらに。物語についても巧く演出されているとは思えず。