ショットと音響による演出 - マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット『レッドタートル ある島の物語』感想

『お坊さんと魚』や『岸辺のふたり』のマイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督レッドタートル ある島の物語を見てきた。ドゥ・ヴィット監督作品をシネコンの大画面で見れるのは奇跡でしかないように思える。実写でいえばゴダールやスコリモフスキをシネコンでかけているようなものじゃないだろうか。それだけ正気の沙汰ではない(笑)ドゥ・ヴィット作品を贅沢な環境で見せてくれたジブリには感謝せざるを得ない。

レッドタートル ある島の物語』は80分間一切台詞がない。正確にいうと叫び声などの声にならない声のようなものは存在しているが、環境音とストリングスによる劇伴以外は存在しない。固定ショットでアニメーションを見せていく手法なのでこの手の長編アニメにしてはカット数がものすごく少なかった*1。台詞がなくてもキャラクターが行動していくこと、そして力強いショットによって物語を重層的に積み上げていく。

どこから来たのか どこへ行くのか いのちは?

ポスターなどに書かれている谷川俊太郎のコピーですが、正直なところ彼のコピーがこの映画すべてをきわめて端的に表現できているので感想書く意味があるのだろうかとちょっと書くのを悩んだくらいだ。本来もっと長い文章ですが、ポスター用ピックされている。しかし、この文章だけでも十分に伝わる。

オープニング真っ黒な画面にクレジットが映されるが、既にここから映画は始まっているかのように波の音が聞こえてくる。次の瞬間大荒れした波にのまれた男が必死にもがきながら海にあらがっている様子が映し出される。そして気づいたときには島に投げ出され、島中を隈なく探しても誰一人もいない。そう、ここは無人島だったのだ。そしてイカダを作り何度も島から脱出しようとするが、なぜか海に出たところで何かの襲撃に合いイカダは壊されてしまう。そしてその犯人が赤い亀ということがわかり、彼は亀に復讐してしまうが…。

パンフレットで池澤夏樹が語っていますが、物語的にいえば『ロビンソン・クルーソー』などの無人島生活モノになる。主題が変わっても無人島は広い心で漂流者を受け入れていく。ポピュラーな物語をアニメーションで表現するといえば、トム・ムーア『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』、アレ・アブレウ『父を探して』が記憶に新しい。ドゥ・ヴィットのフィルモグラフィーでいえば『岸辺のふたり』に近しい感覚。彼の短編作品は省略表現がとても上手ですが、『レッドタートル』はそういった彼のフィルモグラフィーの良いところを残しながら、アップデートしているといってもいいのかもしれない。

今年公開された映画の中でも、画面と音響の使い方やショットの力強さはベストクラスだった。「どこから来たのか どこへ行くのか いのちは?」のコピーは画面設計からしてもいえる。オープニング早々に海のど真ん中でおぼれそうになる主人公。気がつくと島に打ち上げられている。森の中に入ればオフスクリーンから雨音のようなものが聞こえてきて次の瞬間にはスコールに遭う。「どこからか来たのか」ということは、オフスクリーンから画面の中(オン)に何かが入ってくることを指す。「どこへ行くのか」は、亀が甲羅を海に捨てたり、男が海にイカダを捨てるといった行為が、画面の外(オンからオフ)に向かって何かを捨てることで表現されている。また“海辺⇔森⇔岩場”と、けして広くない島の中を繰り返し反復させたり、カットや音響のリズムを変えたりメリハリをつけることで見ているものを飽きさせない。「島に人がいないか探す→叫ぶ(ロングショット)→島を映す(超ロングショット)」など、絶妙なタイミングで画面を引くことで画面中に音が広がるようなショットを実践したりと、「アニメーション映画でここまでショットについて考えているのか!」と驚いたくらいだ。

  • 『お坊さんと魚』(1994)

  • 『掃除屋トム』(1992)

これまでの短編作品でいえば『岸辺のふたり』のような線がグニャッと繋がっていくようなドローイングや、『お坊さんと魚』『掃除屋トム』でのピョコピョコと跳ねる表現など、アニメーション特有の快楽があった。今回はそういった点だけではなく長編映画を意識した作り、「ショット」と「音響」を徹底的に考えられて作られている。それに短編でも得意としていた省略表現もしっかりと本作に引き継がれている。主題のコピーのように「どこから」つまり「始まり(理由)」は描いていない。あるのは今だけ。それだけにその瞬間だけが儚くて愛おしい。だからSEXシーンも当然のように抜けている*2。その次のショットで画面の外から赤ちゃんがよちよちと歩いてくる。何が起こったか直接的に描かなくてもそれだけで何が起こったか説明してしまう。

反復とカット割りの緩急でいえば、怒号のように響き渡る音とともに島を呑み込む津波のシーン。それまで何度も“海辺⇔森⇔岩場”を行ったり来たりするシーンがあったが、息子が津波の音に気付き、水場から森→海辺へ駆けるシーンでは彼の情動を表現しているかのように、ものすごい速さでカットが変わる。オフから聞こえる音によって、キャラクター共々に私たちも何かを予期し反応するといった感情が行動として見えるように示される。またこういったカット割りの緩急とは逆に、たっぷりと時間をかけて画面を優雅に見せるシーンも多々ある。例えば、彼が島に来て月夜に海辺で寝ていると、海に橋が架かり「島から出られるぞ!」とウキウキしながら走り出す。その幸福感がMAXになったとき彼は空を飛んでいる。月光が画面をモノクロームのように見せ、光と影(白と黒)が画面を立体的に見せる美しいシーンだ。ここでかかるストリングスの気持ちよさも相まって早々に泣いてしまった。また彼がおじいさんになり、おばあさんと一緒に海辺でダンスするシーン。『岸辺のふたり』のラストシーンのような多幸感に満たされる。本当にこの監督はショットにしても緩急のつけ方にしても天才的だ。

  • 最後に

さて、この映画で謎とされる「どこから、どこへ」であるが、謎なんてあるようで無い映画だったと思える。もう少しメタ的に見ていくと島の外は「死の世界(または逆)」のように見えるかもしれない*3。ただこの映画の問いかけはそうではなく、“今(現在)”を見ましょうといったことなんだろう。この謎は外を意識させるための装置やトリックのようなものだ。「画面を見ましょう そして画面の外を意識しましょう」と言われているようにも感じられる。まず、画面に描かれていないことを考えるのは後にして、現在、つまり観客にとっての目の前にある画面を見なさいと。最後までハラハラドキドキして一瞬たりとも目が離せないスリリングな映画であり、優雅かつ愛おしい時間を体験できた。最後にもう一度、ジブリ感謝です。

岸辺のふたり HDリマスター版 マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット作品集 [DVD]

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レッドタートル ある島の物語 サウンドトラック

レッドタートル ある島の物語 サウンドトラック

*1:おそらく650カット前後

*2:代わりに感動的なストリングスと2人が浮遊する表現が使われていた

*3:甲羅やイカダを海に捨てるシーンや津波のシーンなどが示唆的なような