山田尚子と「投げること」 - 映画『聲の形』 演出・感想 (ネタバレあり)

山田尚子聲の形鑑賞してきた。山田尚子映画としては『たまこラブストーリー』(2014)ぶりでしたね。先に結論を言っておくと傑作だと思いました。印象的なことから言えば切れ味抜群のカッティングによる様々なイメージの連鎖。エレクトロニカ的な劇伴も素晴らしかった。映像的な作りとしてアヴァンギャルドなことをしていたので、1回目ではイメージを集約するので精一杯でイメージを繋ぎ合わせるのが難しかった。2回見てなんとなく頭の中でまとまったので書いてみることに。作品というよりも作家論風味にまとめています。ネタバレしていますので注意を。

まず『聲の形』の内容から触れる前に山田尚子作品の特徴から書いてみる。山田尚子は「投げること」に置いて職人的なこだわりがある。*1前作の『たまこラブストーリー』に関しても「投げること」で物語が転じていくといった演出を積み重ねていた。『聲の形』に比べればシンプルな演出であり、「ラブストリー」と絡めて傑作でしたね。(下記演出例)



(上)映画の冒頭、もち蔵がたまこに糸電話を投げるシーン。
(下)映画のラストに同じくもち蔵がたまこに糸電話を投げるシーン。



(上)もち蔵の気持ちをどう処理したらいいかわからないときのたまこ。
(下)気持ちを整理した後のたまこ。

『たまこラ』では気持ちを「投げる」/「受けとる」といったことを糸電話やバトンを使って上手く表現している。もともと糸電話やバトンを受け取るのが苦手なたまこ。そしてもち蔵の告白を聞いてから気持ちをどう処理していいかわからなくなってしまうたまこ。気持ちの整理がつけば受けとれるようになるといったシンプルかつ気持ちのいい演出だ。『たまこラ』はこういった反復表現を使い80分程度でまとめているが、テレビシリーズの『たまこまーけっと』でも、1話から「投げること」を実践している。



(上)初めてたまこに投げられるデラちゃん。
(下)女性の脱衣所を覗いてたまこに投げられるデラちゃん。

たまこまーけっと』ではデラがコミュニケーションの障害として機能していく。デラが餅を食べることで見る影もなく太ったことも“飛べなくなる”障害なんですね。またその太ることによって「時間」を意識させる。よく会話をすることを「キャッチボールしなさい」と表現するけど、コミュニケーションは相手に投げかけて帰ってくることで成立する。一方的なアクションはコミュニケーションとは言えない。『君の名は。』がヒットしている新海誠であればそういったコミュニケーションのズレを『ほしのこえ』で携帯電話のメールによって時間の流れ違いを演出していた。演出意図として新海誠山田尚子は違うことをしているので一概に良い/悪いはないけど、山田尚子はコミュニケーションの瞬間が「見えること」に重きを置いているのではないだろうかと感じる。


デラちゃんが糸の上に乗って障害として機能する。

またそれは『たまこまーけっと』から始まったことではなく彼女が参加した作品には様々な「投げる」表現が見られる。

  • CLANNAD AFTER STORY』(2008)- 第10回「始まりの季節」


山田尚子コンテ回のクラナド2期。キャッチボールシーン

  • 氷菓』(2012) - 第14話「ワイルド・ファイア」


山田尚子コンテ回の『氷菓』から14話。料理対決中に食材が切れて途方に暮れているところに天の恵みが(小麦粉をゲットしてかき揚げを作ることに)。

  • Free!』(2013)- 7Fr「決戦のスタイルワン!」


こちらも山田尚子コンテ回。お賽銭を「投げる」シーン。


さて本題の『聲の形』ですが、「聴覚障碍者」と「いじめ」と深層的に語るとデリケートな話になっていますが、やっていることに関してはやはり一貫して「投げること」によるコミュニケーションだと感じた。タイトルの「聲」という旧字の成り立ちから見ていてもハッキリしてくると思う。

何事にも興味津々な将也の通っている小学校に聴覚障碍者の硝子が転校してくる。将也は硝子を人というよりも興味のある対象物として見ていた。声を掛けても聞こえないために砂利を投げてみたり、補聴器を硝子から取り上げて投げ捨ててしまう。硝子はどうしても人よりも遅いスピードでの反応になってしまうので、何も知らない子供からしてみればその遅延*2は理不尽でしかないのだろう。そんな硝子を取り巻く「投げること」はコミュニケーションとしてはロクに機能しなく、ここでは「衝突」に変換される。彼女は周りの人間といつも衝突しながら生きていかければならない。

本作では硝子と将也の関係性がピックアップされているが、コミュニケーションによる「衝突」は彼/彼女らを取り巻く周りのキャラたちも同様である。硝子がいじめられていると知りながら誰も助けようとしない。佐原だけは積極的に交流していくが、彼女も嫌味をいわれ学校を去ってしまう。自分ではいじめていないと主張する川井や、高校生になっても硝子への態度を変えない植野(その他略)といったように、硝子の周りの人たちはとてもギクシャクした関係になっている。そいういったキャラクターの衝突が、硝子の自殺未遂(と同時に将也の入院)と、大きな事件に発展してしまう。

  • 落ちること ‐ 「反復」について

本作は落ちる(飛ぶ)ことで快感を得るポジティブなイメージと、相反するネガティブな死のイメージを繰り返し反復させている(落ちること=身を「投げること」でもある)。それは将也/硝子の自殺未遂(これもまたニコイチ,反復)に還元されていくだろう。犯罪映画で拳銃が出てきたら必ず「撃つ」じゃないけど、何度も「落ちる」イメージを執拗に描くことで、劇的に「落ちる」ことを演出している。将也は硝子を助けるため落ちてしまったが、将也が生きていたことにより、“美しい(ように見える)ドラマ”を形成する。山田尚子は投げると同様に「落ちる」表現も様々手掛けている。


もち蔵に告白されてビックリして鴨川に落ちてしまうたまこ。


山田尚子コンテ回の『ユーフォニアム』から第一回。滝先生がプレーヤーを落とす瞬間。しかもポケットから落ちる→コードをつかむ→イヤホンジャックからコードが抜けるという二段落ち。

  • CLANNAD』(2007) - 第17回「不在の空間」


山田尚子が演出家デビューした『CLANNAD』から17回。蹴り飛ばされてベッドに落ちたように見える。「拒絶」としてのコミュニケーション。

傷つけることでコミュニケーションしていた将也が、今度は逆にいじめられることで自分の殻に閉じこもってしまった。複雑な事情はあったが、前を向き周りの言葉を聞き入れることでひとつ変わったと言えるのかもしれない。映画的にいえば変化することで「時間」の経過を感じさせられたのだと思う。やたらと攻撃的なキャラや自分の認識に無関心なキャラといったように特色あるキャラを登場させることによって、「色々な人がいる」と多様性の価値も見せたかったのだろう。誰かが誰かを傷つけてそれを赦すといった物語ではなく、自分自身の認識を見直すことを描いているように思える。

将也は投げることでコミュニケーションを絶ってしまったわけだが、高校生に成長してパンを投げることでコミュニケーション成立させている。「自分が嫌い」といい何にでも謝ることをしてきた硝子であったが、高校生になった将也も謝ることが普通になってしまっている(反復)。結絃を家まで送る将也の傘や、植野を傘に入れる硝子(反復)。結絃がカメラで捉える硝子と将也の会話シーン。隠し撮りした植野と硝子の観覧車での出来事…と対象人物を変えながらも反復していく。映像的にも繰り返し脚を映すショット、フラッシュバック演出(回想イメージ)の多用と、反復はいたるところに散布されている。山田尚子監督デビュー作である『けいおん!からして反復が素晴らしい。

  • けいおん!』(2009)(上)#1 - 「廃部!」 (下)#12 - 「軽音!」



山田尚子の監督デビュー作となった『けいおん!』の第一話と最終話。一話では滑って転んでしまうが、最終話ではしっかりと足で踏ん張って転ばないようになっている。同ポジを使った成長(時間)表現。

速いカット割り*3による反復のせいかアニメーション的な快楽よりも、本来のリミテッドアニメの持つ快楽が優先されているように感じられた。上段に書いたがこういった反復によって「時間」を意識させることがこの作品で重要だと思う。キャラクターは小学校から高校生まで時間が経過している。観客からしてみれば2時間程度の上映時間であるが、キャラクターは何年も過ごしているといった時間のギャップが生じている。そういった時間によるギャップをカットを積み重ねること(反復)で縮めているのかもしれない。

  • 最後に

他によかった点について。将也の家から結絃が裸足で帰ってしまったとき、将也は結絃に追いつくが硝子のことを責められて将也の持つ傘が下を向き独り言をいう。ここで結絃が傘を下から持ち上げるところ。言いすぎてしまって彼が落ち込んだのを止めようとしているのだろうけど、心理語りになってしまうので「おい!映画は心理じゃないぜ!」と訴えかけているようなシーンに見えた。何も言わず行動で態度を示すいいシーン。

山田尚子の映画としてこれまでよりも一歩も二歩も先にいってしまったかのようなレベルの映画だと感じた。ただ好みとしては『たまこラブストーリー』や『けいおん!』のほうが好きかなーといった具合。ちょっとデリケートなことが話題になる作品だと思いますが、グチャグチャした人間模様を山田尚子は美しく見えるよう巧みな技を駆使していた。それだけ綺麗な映画に見えましたし、イメージが雪崩のように迫ってくる情報量の多い映画だったと思います。


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ニュータイプ 28年10月号

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*1:本タイトルは「ジョン・フォードと『投げること』」から 講演「ジョン・フォードと『投げること』 完結編」

*2:劇伴でも反響などで意図的に音をズラすことで遅延を作っていた。これは補聴器がアンプの役割なので「ノイズが聞こえる」 映画「聲の形」牛尾憲輔インタビュー 山田尚子監督とのセッションが形づくる音楽 | アニメ!アニメ! といった意味合いのよう。サントラ3,500円と高価なものですが、曲名しか書いていないのでMP3ダウンロードで十分だと思います。(それでも2,400円するのはどうかと思うが)後々に映画の特典としてセットで劇伴の解説(絵コンテ的な)でリリースして欲しい。

*3:OP含め2,100カット以上。『けいおん!』では1,600カット以上。『たまこラブストーリー』は1,200カット以上と記憶している(多分)。