『Occultic;Nine -オカルティック・ナイン-』Site10「本当のワタシ」覚書――認識と仮装性

オカルティック・ナイン』10話すごかった!神戸守コンテ回!『すべてがFになる』のコンテワークもたいへん素晴らしいものでしたが、今回、全てがトチ狂ってた。画面から重力が消えたかのように上下反転に、左右反転に、遠近感の消失に……これはキリキリバサラ周辺人物(特に我聞)のパラダイムシフトによって画面が反転したりと、トリッキーなカッティングになっているのではないだろうか。

というのも、『オカルティック・ナイン』の物語は構築されいた日常が徐々に崩れていき……見えてなかったものが見えてくると言った展開だからだ。そのパラダイムシフトのような出来事に画面も変容するといった……。我聞であればキリキリバサラを運営しており、仕事をせずにアフィで生活できるようになりたいと願っている。そんなところで殺人事件に巻き込まれたり、気づけば自分は死んでいた……事件のなかで自分の認識が180℃違っていたような事態に陥る。そして極めつけの「りょーたす=スカイセンサーの声主(ゾン子)=アヴェリーヌ」と、180℃の認識がさらに180℃(それでは一緒だ)ひっくりかえるような展開である。ただ、りょーたすを取り纏う事実に関しては『オカルティック・ナイン』に置いて普遍的なモノなのかもしれない。

※このシーンはモニター(orテレビ)越しっぽい感覚がある。左が何かの中継風景。右が遠近感を殺した作為的な写真的(SNSでよくみられる)な。

瀬莉愛といった本名を持ちながらも紅ノ 亞里亞としてゴシックロリータの衣装をまとい黒魔術代行業を営む。またパートナーの日下部吉柳に関しても、幽体離脱をして悪魔として活動を行っている。森塚駿にしても銭型刑事の仮装をしてみたり、相川実優羽は占い師として活動していたりする。誰かが誰かに仮装すること。特にりょーたすが起点となっているが、『オカルティック・ナイン』のキャラクターは誰かに仮装することで世界に身体(自分)を留めようとしていることが見て取れる(例えば悪魔であろうとして金を設ける日下部吉柳)。まるで幽霊がこの世に未練を残してさまよっているように……

その世界の認識がガラッと変わってしまい、宙ぶらりんにされ足がおぼつかないような事態に陥ってしまう。「カフェ☆ブルゥムーン」なんかはその中でも典型的な存在だろう。2年前になくなっていたところが集合場所になっているおかしさ。悪魔が「あの男」といったようにマスターには何か裏がある。そもそも彼ら/彼女ら以外の客が全くいないことがおかしいだろうから、実際のところ存在しない場所だった、といったオチもあり得るのかもしれない(木崎あすなの声が256人の聞こえない……発言から既に彼ら/彼女らは死んでいた?ともとれる)。

そして、すべてを繋ぐのがりょーたすの持つあの銃なんだろうな。やっと出てきましたね全てを繋ぐ金歯(キー)が。認識と仮装性あたりを煮詰めて、もう少し画面に注力すると面白く見れそうな気がしています。ざざっと雑に書いてしまったので、どっかの機会でまとめられるといいんだけど。