庵野秀明・樋口真嗣の『シン・ゴジラ』覚書
突然だけど「映画に希望を見出した!」といった文言をみると気恥ずかしいというか、どうしても「希望」をテーマとかメッセージ性がどうとか、、、と唱えていると何かスッと手元からこぼれ落ちていくようであまり使いたくない。僕たちが人間であっても、「怪獣映画」で人間側のドラマがいかに明確に記されていようとも、怪獣がフルぼっこにされ絶命するシーンとてもつらいものだ。幼稚園〜小学校のときに『平成(vs)ゴジラ』にハマり、昭和ゴジラを遡った。そのときみた街中を右往左往して破壊していくゴジラがどうしてもヒーローに見えて仕方なかった。そして来る1995年、小学校三年のときにみた『ゴジラvsデストロイア』。今見直すとポンコツな映画に見えるんだけど、どうもあのころは「僕が好きだったゴジラが死んだ」と、とてつもないインパクトがあって、しばらく怪獣モノに触れることが出来なかった。だからミレミアムが始まってもリアルタイムでは追っかけられていなかった。時は立ち気づけば大学生になっていた(僕にとって大学はアニメや特撮のリハビリ施設だった)。そんなときにちらほらと『ミレミアム』以降の作品も見ていった。
最近(感覚的に)オタクの逆襲か?興収的にどうだったかはよくわからないが、デル・トロが『パシフィック・リム』で私的趣味全快の作品をあんなメジャー(しかもIMAX仕様)で公開するということをしでかした。ロボットや怪獣たちのドンパチやデル・トロの趣味についての感動ではないんだけど、開始10分程度で『アイアン・ジャイアント』からはじまり(ここで『やぶにらみの暴君』までイメージ<造形=ロボット>が遡り泣いた)、二人乗りロボット〜兄弟の関係性から『グレンラガン』を想起し、私的な記憶(イメージ)から号泣するという恥ずかしい思いをした。終わってみれば『空飛ぶゆうれい船』で着地し、ハットトリック見せられたら、もう他人事とはいえないもので、帰り道は足元がグラついたものだ。(2Dで見直したらガックシしたけど)
- 「庵野秀明」
気づけば怪獣から話がそれている。さてさて『シン・ゴジラ』僕にはとてもとても素晴らしい作品だったように思える。ただ安っぽい「希望、希望、希望、、、」といったわかりやすいテーマを評価する態度ではなく、たんなる「趣味」への没頭が、作品から感じられたのでよかったのだ。「庵野・樋口」のタッグ(もちろん現場のスタッフたちも)の趣味でしかない映画にひどく感動させられた。だがどうもツイッターでぽろぽろ感想を書くのも恥ずかしい。だからまとまってもいないのに駄文でしかない感想をブログに書いている。『エヴァ』が特撮パロディないしオマージュでいわばオタク層に心を鷲掴みしたように、この映画のキーは「編集・庵野」だったことだろうか。まるでアニメのような「こんなところにカメラおいてるのか?」と思うようなカット割りに、超高速での静止画のイメージ連鎖によって自らのセルフ・パロディのようなことをしている。『エヴァ』にも言えるが『シン・ゴジラ』も、それだけ「アニメ」⇔「実写」を横断するような作品なのだ。考えてみれば『ラブ&ポップ』も「ビデオ」→「フィルム」形式の横断があるし、『キューティーハニー』では実写でアニメのような作画表現だったり、まんまアニメをぶち込むといった大胆な手法をとった。(『キューティーハニー』はオープニングアニメが一番面白かったのが難点だが)
- 「会議シーンに見られる圧縮」/「ゴジラの実在感」
ちまたでアーロンソーキンの脚本ような早口での会議シーンといわれるが、テロップの扱いといい、とにかく「時間」圧縮の為の省略(方法)だったように感じられた。その思いもよらぬ圧縮によってか「時間」に対する感覚が曖昧な作品になっている。「誰が、いつ、何を、」したかといったことが明確には浮かび上がらない。血液凝固剤のために「24時間稼ぐぞ!」といった“明確な”時間も出てくるが、幾度もなくキャラクター(アニメとの横断として敢えてキャラクターと書くけれど)がやたらと疲れ果てた姿を見ているせいか、まるで数カ月間ゴジラと戦った後のように見えてしまい「いったい今が何月何日で、ゴジラが表れてから何日たったのだろうか?」と、まるで違う世界へ迷い込んでしまった感覚があった。
ディテールの固めは以上として、あとはゴジラの実在感がよかったと思う。インタビューや資料を読んでいないので想定になってしまうが、今回のゴジラのデザインはCGながら着ぐるみ感が際立っていた。おそらくここはかなり意識したのだろう。そういったモデリングにより「CG/着ぐるみ」の差異がほとんど見られず、まるで使徒のような大胆なデザインの第一形態からも昭和の匂い(実態感)が適度に感じられたのがよかった。リアリティのかけらもないような物体と血が、記憶と結びつき生々しい実在感を帯びてくる。その手塩掛けた(ような)ゴジラが人間“なんぞ”にボコボコにされるのは悲しくて、悲しくて、悲しくて、、、泣いてしまたた。そしていろいろと考察が生まれそうなラストカット。いわば「世界(日常,永遠)」を示しているんだと思うが、あれは希望どころか、生きることは地獄、地獄、地獄、、、といわれている気がする。いつまで経っても変わらない日常。アランクラークの『SCUM/スカム』のようにあがいてもあがいても何も変わらない。そんな永遠が続くと。
- 「樋口真嗣」
特撮ほんとに素晴らしかったと思う。「ヤシオリ作戦」で『エヴァ』想起(ヤシオリにはネタがあるらしいけど)したが、列車追突シーンとにかく素晴らしい(セフルパロディ的なところもあるけど)。そしてあの熱線というかレーザービームに尾びれビーム、極めつけの尻尾ビームにはすこぶる中二感を感じ得て気恥ずかしいながらテンションが上がってしまった。『平成ガメラシリーズ』も素晴らしい職人気質を見せていたし、やはりこの人は特技監督として才能がある。評判よくないけどちょっとこれは『進撃』も見ようかなっと思う気持ちになったよ。WOWOWで録画したからみようかな。特撮について対した知識もないのでこの人については良かったくらいしか感想がない。
- 「結局のところ」
大満足な結果だったけど、普遍性があって広い市場見て受入れられるとはあまり思えなかった。まあドラマ的には好まれそうではあるけど、逆に言えば「大メジャー作品」からこそのウィークポイントでもあるんじゃないか。本気でこんなこと考えてるならほんと嫌だから僕は。そういった背景からか、あまりにも繊細なバランスで成り立ち過ぎているきらいがある。それと『エヴァ』のセルフパロディなどのアニメ的イメージは映画学,美学としてどうなのか?といった疑問もある。映画が自由だといった反動に対して、映画の文脈から見ると批判の対象になりかねない。何にせよ、あれだけ魅力的なゴジラや特撮を見せられたからには支持をする。『デストロイア』のようなゴジラの消失感と、最高の特撮技術にほれぼれした。いつか『ゴジラ』で人類が生き延びるのでなく、全世界をゴジラに壊滅させられ、ゴジラがたった独りで立たずむ瞬間を見てみたい。「生きねば」なんて思わない。ただ人生は惰性なり。
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