記憶とリンクする青春映画『ちはやふる 上の句』感想

特別詳しいってわけでもないが、青春映画が好きだ。たとえ青春映画で描かれている甘酸っぱい恋の体験と同じ体験をしてきたかというと厳密には違う。でも、映画を見ている最中に断片的な記憶がふと浮かび、自分と映画がリンクする瞬間がある。二度と戻ってこない記憶への思いがセンチメンタルな気持ちにさせるに違いない。それと、自分の好きな青春映画が記憶を抱えた作風だったことにも関係してくる。以前、出崎統AIRを「夏休み映画」として取り上げたことがあったが、青春映画ともいえる作品だろう。夏のほんの数日間の出来事を1000年前の記憶と、複雑に交錯することで情報と情動を兼ね備えた作品に仕上がっている。作品自身が抱える記憶と、我々が抱える記憶が同一でないにしろどこかでリンクする。青春映画にはそういった記憶とのリンクを感じさせる魅力があるのかもしれない。

さて、本日より公開されたちはやふる 上の句』も記憶を抱えた映画だったことに間違いない。「競技かるた」は下の句を並べ、読手が読み上げる上の句を聞いてカードを取る競技だ。上の句と下の句が運命的な出会いをする、その瞬間に2人が一斉にカードを取り合う。1000年以上前の人々が残した歌と、現代の人々が運命的な出会いを果たすのだ。青春映画としてこれ以上ない記憶を抱えた作品なのである。そしてこの作品が見事なのは、「競技かるた」の性質が人物模様にもリンクするところである。綾瀬千早、綿谷新、真島太一は小学校の頃「競技かるた」に出会った。新とは短い期間であったが、一緒にかけがえのない思い出を作り、ある約束をした。3人はバラバラの中学校時代を過ごしていたが、高校に入り「競技かるた」を通じてふたたび3人は出会う。

ちはやふる』映画化するにあたり、小学校編、高校編と進む物語を高校編から記憶を巡っていくように変更した。『AIR』もそうだけど、こういった記憶を抱える作品は時系列をバラバラにして組み直したほうが「論理」とは離れたところで、情動が生まれると思うのでこの選択は素晴らしかったといえる。それと何といっても別々の場所で戦う複数人の試合を編集でリンクさせる手法は、結びつきを重んじるこの物語の性質にも合っていて見事だといえるだろう。逆に団体戦の途中までは、全員が一緒にいるのにバラバラになっているのがよく分かる。ラストに向かってバラバラだったものがまた一緒に動き出していくというのはベタな展開であるが、数年間をまたいだ記憶がひとつに集約していくのはなんとも気持ちがいい。そして、集中したシーンの広瀬すずの眼力や「決まり字」を聞いた瞬間の動き…など、漫画ならではの魅力が余すことなく表現されていて実写化にも成功したといえるだろう。

ただひとつだけ気に入らないといえば、それが「記憶」を重んじる演出意図だとしても、光が画面に差し込むシーンはいずれも極端にハレーションを起こしたような画面が続いてしまっていてかなり見づらい。まるでインスタグラムの加工された写真を見ているようであれは辛すぎる。出崎『AIR』の入射光やハレーションを起こしたような画面はあれだけ魅力的なのに…と思ってしまった。少し難点はあるが、自分好みの物語を持った青春映画だったので概ね満足です。

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