『傷物語』公開に思うこと。

歴史的一大事である。dark angelが来日するとか、黒沢清の『岸辺の旅』が絶賛公開中だとか、そういった事態を遥かに凌駕してしまっている。そう…何を血迷ったのか。。傷物語の劇場公開日が発表されたのだ。しかも来年1月8日ともう僅かに3ヶ月先ではないか。

2012年頃に劇場化と言われながらもズルズルと物語シリーズが続けば続くだけ遅延してきた…いや、公開すら忘却の彼方に消えていってしまった『傷物語』。こんなものが公開されるとしたら伊藤計劃の3作品が束になってもかなわない。公開されればオールタイムベスト間違いなしレベルの期待作。ここまで書いていると僕がいかに西尾維新フリークなのかと思われるかもしれないが、西尾維新フリークどころか、物語シリーズの真面目なファンでもない。原作を読もう読もうと思いながらも、アニメ公開が早くて気づいたらアニメで補完している。せいぜいシリーズで2、3本しか原作を読んでいない体たらくだ。
ただ『傷物語』は大いにやられた。今日の午前中『屍者の帝国』に向かいながらも頭は『傷物語』でいっぱいで、気づいたら再読していたのだけど、社会復帰できないくらいの「傷」を負ってしまっている。これでは生きていてもしょうがないのではないか。キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードが自殺を選択しようとしていた理由とは程遠く、ただひたすら生きることを悔やむようなそんな強い強いおセンチにも似た「傷」を与える作品だと思う。

「傷物語」公式サイト - 〈物語〉シリーズ

ただ待てシャフトよ、新房よ、「三部作」とはどういう了見だ??
劇場公開作品なので僕はてっきり90分、まあいっても120分という形態で終わると考えていたのだが。
三部作だと…?!
映画は「鉄血篇」、「熱血篇」、「冷血篇」の三部作に分かれるらしい。

おそらく鉄血篇がバトルシーン直前くらいまでで、熱血篇がキスショットの四肢を奪還するまで。そして冷血篇がそれからキスショットと阿良々木の戦闘シーンというように分けられると思うのだが、それなら…TV放送でもいいのでは?と感じるのである。映画の尺をめいいっぱい使って1本の映画で固めて欲しかったのだが。。多分、この作品の醍醐味である会話シーンを原作同様に残すことから、こういった尺が必要になってくると思うのだが、果たしてそれが「映画」として十分に機能するだろうか、いや、「映画」になり得るのだろうか。

「映画」は時間を操る装置だ。時間を感じさせなければ映画として機能しない以前に、映画にはなり得ないだろう。押井守は『オンリーユー』の失敗(僕は嫌いじゃないが)から、出崎の劇場版『エースをねらえ!』を見てアニメを映画にする方法を学んだ。それは「光/影」の演出に見え隠れする「時間」の扱い方だ。そこから彼はいわゆる「ダレ場」理論を実践し、意図的にダレるシーンを映画に組み込むことにした。今年公開された『THE NEXT GENERATION パトレイバー 首都決戦』にはその「ダレ場」がなく、これが押井守の映画か?と少し戸惑ったものである。*1
総監督が新房さんであればこれまたオールタイムベスト級の『まどかマギカ叛逆の物語』が記憶にあたらしい。あの作品も「記憶」という時間を操っているので紛れもなく「映画」であるが、果たして『傷物語』は吉と出るか凶と出るか…。TVシリーズと同じノリであればTVで放送すればいい。ただシリーズの中でも『傷』は異質で「映画」のために作られた作品に思える。そんな期待するオタクたち全ての重荷を背負っているんだシャフトは…。

果たしてちゃんと「映画」になっているのか、と心配になりながらもムビチケ買うんでしょうに…。しかしながら来年まで「傷」を負って生活するのも楽じゃない…。

傷物語 (講談社BOX)

傷物語 (講談社BOX)

*1:来週ディレクターズカット版が公開されるので「ダレ場」があるかないか見もの