三宅唱『やくたたず』『THE COCKPIT』『Playback』を見た。

自分といくつも離れていない監督が「こんな映画を作れるのか」と衝撃を受けた。「三宅唱」名前は何度か見たことはあったのだけど、今まで見れていなかった。今回『THE COCKPIT』公開記念にシネマテークにて、『やくたたず』『Playback』の同時上映ということだったので駆けつけた。パッと感想じみたことを言ってしまえば、役者を撮りたい、撮っている感覚を大切にしたい、とにかく役者を優先した映画を撮る人だなと。もう、これはすごいぞと、すごいということを、何か書きたいのだけど、批評なんてできないし、感想にもならない、雑感というか、今の気持ちを残しておかねばならぬといった衝動で書くことに。

三宅唱監督は84年生まれのまだ三十代の監督。どうやら中学時代から映画を撮っていたようで学生時代から短編をたくさん撮っている。その後、映画美学校一橋大学を卒業。『Playback』がロカルノ国際映画祭に出展されたりと、注目を集める若手監督である。


◼『やくたたず』(2010)
三宅監督の初長編映画である。長編といっても76分のランタイムとかなり短い。ただし、いい意味での話だが、おそらく長く感じるだろう。ただ、気持ちのいい退屈さで、気持ちのいいショットで構成されているのでダレることはない。この映画は、高校卒業を控えた三人の男子学生が、警備会社?のようなところへ就職することから物語がスタートするが、物語を話す気はさながらなく、「高卒くらいの男子学生が、友達と一緒に面接しているな〜」「家の窓ガラスにブザーや監視カメラを設置しているので、警備関係の会社かな〜」っと、あくまで彼らの行動のみで物語を判断するしかない。説明的な台詞はないが、職業の「運動」で彼らがどういった人たちか、を説明しているので、不思議と分かりづらさはない。

降り積もった雪のなか、トラックで運転の練習をする高校生。ドラム缶のなかで燃える炎で温まる警備会社の社長。その瞬間ごとに、画面にクギ付けになるショットが生まれる。雪のなかで日々日常を過ごす高校生をロングショットで捉えると、どこかジャームッシュの映画のような時間が流れ、役者を捉えるカメラは、なんとなくペドロ・コスタっぽいショットを感じた。
僕がとくにクギ付けになったシーンが、彼らが仕事で使用するトラックが盗まれるシークエンスだ。このシーンの冒頭で彼らは、喫茶店でパフェを食べている。

「お前は会計」
「お前はトラックあっためておけ」
「お前はチョコパフェ食ってればいいんだよ」

と、高校生と職場先輩といった何気ない、のほほんとした会話から「トラックがないです」といきなり物語が加速する。喫茶店から店外へ移動するが、高校生三人が慌ただしく探し、画面の手前でガサガサ動きまくったり、画面の奥へ走り抜けていったり、一つの画面上で何人もの人間が動き回る。このシーンで素晴らしいのは、手前の人物を捉えながらも、画面の奥へ駆けていく青年を消失点に消えていくまで、一瞬も逃さず捉え続けていることだ。

役者を撮ること、画面に生まれる運動を撮ること、三宅監督が大切にしているものがなんとなく伝わってきたような気がします。聞いたわけじゃないので、確かではありませんが。


◼『THE COCKPIT』(2014)

最新作のOMSBのドキュメンタリー映画。曲作りに焦点が当てられており、置かれる場所が3箇所?くらいと、最後に完成した曲を流しながら町の風景を撮るカットしかなく、ほとんどカメラは動かない。OMSBのノリに乗った首の動き、手さばき、後ろでマイクを奪おうと(精神的に)するBimの動き、彼の帽子の変容と、小さい部屋の中でのやりとりが面白い。この映画に何をいっても嘘になりそうだ。ただ、この最高の映画を何度も見たいと、適当な雑感で終わらせておく。


◼『Playback』(2012)
長編二作目『やくたたず』『THE COCKPIT』がそれぞれ、76分、64分とランタイムの短い作品だったので、『Playback』の113分が長そうだな…と思っていたのだが、それは杞憂でしかなく、もっと見ていたい、たとえ、180分続いたっていいと思ってしまった。
やくたたず』が職業の「運動」で物語説明をしていたと書いたが、『Playback』はさらにそれを進め切ったというか、彼岸と此岸の間にいるというか、説明的な描写は一切なく、奇妙な物語がスタートする。

俳優の村上淳が、吹き替えの声優?の仕事をしているが、体調が悪く、仕事がなかなか上手くいかない。そんなときに、昔の同級生から「今日、結婚式だろ」と声をかけられ、途中で仕事をほっぽり出して結婚式に向かう。そこから、彼の「高校時代(過去)」と「現代」が入り混じる。そして、急に村上淳が倒れると一日前に戻り、同じ日を繰り返してしまう。

タイムリープパラレルワールド?反復の映画?とテーマを掴みかけるが、テーマはそこにはないんだなと感じた。確かに時間が繰り返されるが、そこには「差異」が生まれる。菅田俊が「今ある自分は過去の積み重ねの結果なんだ」というように、この映画は「過去に存在した時間(記憶)を噛みしめる映画」だと思う。繰り返される時間には、いなくなった人がいたり、もしかしたら、もう少しちゃんとお礼を言わないといけなかった人がいる。そして、見ている者にも、「あなたは生きているのか」と問われているような、ボディブローを喰らったような衝撃を受けた。

やくたたず』よりもショットが安定しているし、村上淳の退廃的なところ、生き生きしたやんちゃなところが、余すことなく伝えられている。二十代でこれを撮ったと考えると脱帽である。今回見た三宅監督作品で一番好き。


残念ながら三宅監督の作品はBlu-rayおよびDVD化されていません。監督から、しばらくはソフト化しないような発言もあるらしいので、劇場でかかった際に是非とも見ていただきたい。何度も見たいなと感じるし、とくに『Playback』はボディブロー喰らって、数日間、この映画のことばかり考えています。再鑑賞できたらもう少ししっかりと感想を書いてみようとかな。