『ミカグラ学園組曲』の装飾性について

暑い日々が続くせいなのか、そのせいにしているだけなのか、GWが終わる共に春アニメの消化スピードが減少していき、なんとか追いついているのが『響け』と『ミカグラ学園組曲』くらい。『響け』はこの前5話までの感想を書いたので、ミカグラ学園組曲で気になっているところを短めに。

まず、『ミカグラ』なんとなく面白いんですよ。ストーリーが優れているとか、演出が抜群だとか、そういうことではなくて、なんとなく僕が欲しいところを突いてくる。そんな風に感じています。その、なんとなく惹かれる理由に「装飾性」だとか「ファッション感覚」が挙げられる。

『ミカグラ』の物語は一宮エルナのキャラが動くことで進められる。彼女は全く恥じらいもない百合だったり、そのための行動を惜しまない。その百合感覚が、言うなればファッション的な扱い方。もちろんファッションであっても百合にはかわりないので、別にディスってるわけでもないのですが、執拗に彼女の百合妄想だとか、可憐な女子たちへの視姦は止まらない。ただ、百合がテーマなわけでもなく、あくまでも物語を強靭にするひとつの演出として扱われている。原作未見ですが、ホンをアニメとして表現しようとした場合、全ては意図になる。このエルナのファッション百合も、もちろん意図のはず。また、彼女の新人にしては強力な能力だったり、その力に溺れてしまう部活対抗戦であったりも、そういったファッションや装飾性といったものをキャラで体現しているといったことだろう。また、彼女は一度星鎖のいる帰宅部に入部したが、現在(放送中)では無所属。彼女は対抗戦ほかさまざまな体験をすることで、星鎖以外にも友人が増えてきて、回を増すごとに「無所属」のエルナに百合以外の装飾が増えて行く。

こういった装飾性・ファッション感覚はもちろん対抗戦にも活用されていた。
トンきゅんと相良 あづみの対抗戦。あづみは「モルト・アクセント」で音圧によって重力を操ることができる強力な能力を持っている。トンきゅんは素早く逃げ回り、なんとか逃げ切れたと思ったが捕まってしまう。ただ、これは彼の作戦で、実は彼女の能力の限界に気づいており能力を発揮できなくなった彼女を倒す。これはあづみのハッタリといった装飾をトンきゅんがひっぺ変えした構図。

それとモブに色が付いていないこと。これはエルナの視線に入らないといった意図かもしれないが、装飾しない演出。それと星鎖の「キリングアート」もこういった装飾性に言い換えられる。


・色が付けられていないモブ


・キリングアートの力

星鎖は過去に何かを背負っている人物。エルナがファッション的な存在で、何も背負っていない存在ならば対極な存在であり、今後、対抗戦で二回目のガチバトルが期待できる。キャラを動かして物語を強靭にするものといえば、『キルラキル』の流子のようだ。「流れる子」と書いて「流子」。流子がキャラというよりも物語のための機能として「狂言回し」的に扱われていたように、エルナの装飾性もまたそういった存在のように感じる。

「子供で夢を見る親は、もう「親」という生きものだ。それは人間の生を放棄している。ついつい人は、そうした装飾に包まれた安楽を望むもの。」ー森博嗣有限と微小のパン

装飾、ファッション、ハッタリとかいっていると『有限と微小のパン』を思い出す。
この辺のテーマってどうしても気になってしまう。あー早くエルナと星鎖のイチャイチャ見たい。妄想でなくて本物で。