フォーマット化に恵まれない数奇な映画/エドワード・ヤン『牯嶺街少年殺人事件』

エドワード・ヤンが旅立ってから今年で8年が経つ。僕の最初のエドワード・ヤン体験は『ヤンヤン夏の想い出』であり、これもオールタイムベストにしてもいいくらい大好きな作品だ。映画ファンの中では人気のある監督であるが、一般的にはエドワード・ヤン知名度は低い。それは彼の作品がフォーマット化に恵まれていなかったのが一つの原因である。DVD化されているのは『ヤンヤン夏の想い出』『恋愛時代』『カップルズ』のみであり、レンタル本数は少なく、購入したくても『ヤンヤン夏の想い出』以外はプレ値がつけられている。しかも『恐怖分子』と今回触れる『牯嶺街少年殺人事件』*1に関しては、DVD化はおろかVHSのみとされており、レンタル出来るのはTSUTAYAの数店舗と一定の地方に強いビデオ1あたりとなる。僕自身も『クーリンチェ』『恋愛時代』『カップルズ』『ヤンヤン夏の想い出』を所有しているが、『ヤンヤン』以外はビデオで保有している。映画ファンに見られるべき映画作家でありながら、このような事態はとても残念だ。

さて、『牯嶺街少年殺人事件』は1961年台湾で起きた、中学生男子による女子生徒殺傷事件がモチーフとされている。この映画は4時間(公開時は3時間)の長尺な映画であり、極端に抑えた照明(自然光で撮影)によって登場人物たちの顔がなかなか判別しづらいことから、かなりの集中力が必要とされる。一作品前の『恐怖分子』も自然光で撮られているが、『クーリンチェ』は夜のシーンが多く、食卓の電球やロウソク、街の電灯やそれを反射する道路、懐中電灯と言ったように照明が演出されており『恐怖分子』に比べも極端に暗いシーンが多い。そこまで照明を排除した意図はどういったものだったのだろうか。

それは、この物語が実際に台湾に起きた殺人事件だったことに起因すると考えられる。僕たちは普段テレビのニュースやネットで目にする事件について「怖いな」と感じることはあっても、実際に遭遇しない限りなかなかそれを真面目には考えない。それは普通のことであり何も恥じることはないことだろう。関わりのない人物にとって多くの事件は時間が経てば風化されるし、新聞やテレビなどのメディアを通じて見ているので、記憶ではなく「記録」として事件を見ている。

この感覚を村上春樹から引用すると「遠くから見れば大抵のものは綺麗に見える」という台詞*2が便利がいい。前段で書いたように、普段は客観的に見ているものに近づいてみることで、今まで見ていたものとは違ったように見えてくる。それを効果付けるため、照明を自然光にしたのではないだろうか。よくある体験で、夜の暗い部屋では最初は目が暗闇に慣れないが、時間が経つと暗闇に目が慣れてくる。そういったように『クーリンチェ』は照明を絞り暗闇を撮ることで、観客は物語の抱えている闇への接近を果たしているのではないか。

『クーリンチェ』のラスト。少年と少女が口論となり少年が少女を刺したその瞬間は、彼らの上半身しか見えず実際に何が起きているか見えない。次第に彼女がグッタリとして、徐々にカメラが引くことで刺されていることがわかる。普通の映画だったら「刺した」瞬間の映像を欲しがるが、この作品は必要としない。それは映画を見ている我々を、実際に事件を目撃しているように錯覚させるからだ。普段は客観的に見てしまうので、映画的な快楽として受け流せてしまいそうなシーンを『クーリンチェ』では照明を絞り、観客を映画に接近させることで、この映画のモチーフになった事件を息苦しく伝える。

またエドワード・ヤンがすごいのは、台湾と大陸、大人と子供、先生と生徒、生徒同士と、この映画が様々なテーマを抱えている中、恋愛映画として牽引していることであろう。現実の事件がモチーフになっているからと言って全てが現実と同じかわからないが、複雑な物語を見やすくする効果を持ち合わせていると感じた。彼と彼女が出会うシーンで、彼女がバスケットで足を怪我したので教室まで送り届けようとし、彼女は「いいわ、一人で行ける」と言うが、それを気にしてしまう少年が歩くシーンは微笑ましいし、そこから二人で塀を超えるまでのシークエンスは絶品だ。事件の抱える問題を撮りながらも、あくまで恋愛映画として語るエドワード・ヤンの手腕には脱帽である。映画自身との接近。そして気づいたら映画に呑み込まれている。かいぶつのような映画だ。

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2015年『恐怖分子』のデジタル・リマスター版の上映が決定した。ビデオ版のざらつきもさることながら、リマスターによってキチッとした線が見られるかと思うと楽しみである。これを機に『牯嶺街少年殺人事件』の3時間版のリバイバル上映やリマスターDVDの発売を祈るばかりである。スコセッシの映画基金でなんとかならないものか…

*1:『クーリンチェ殺人事件』略称は以下『クーリンチェ』で記す

*2:『1971年のピンボール』より