「隠す」行為と「客観性」 『FORMA』※ネタバレあり
名古屋公開前から大絶賛されていた『FORMA』を見てきました。また、監督と主演女優さんの舞台挨拶も見れましたので、そこで聞いた話を含め僕の感想をまとめておきます。
まず映画の概要ですが、幼馴染みだった二人の女性がある日たまたま再会し、最初は友好的に見えたけれど、最後は憎み合うというお話。ほぼ全シーンワンシーンワンカットで撮影され、なるべく無駄を削ぎ落した演出をしていますが、140分を超える重厚なドラマです。
■ストーリー「ネタバレ」
最初からネタバレしてしまうと、再会する主人公(あやこ)と友だち(ゆかり)は腐れ縁で中高と同じ学校に通い同じ部活をしていましたが、何となく一緒にいただけで実は二人ともお互いに好きではなかったのです。それで、あやこはゆかりが自分の父と不倫まがい(どこまでかは不明)をしていたから、家族が崩壊したと思い込み、精神状態はボロボロです。
それで、工事現場の警備員という自分よりも社会的地位も低いあやこを発見し、わざとまた会いだすんですね。そこから、父親とゆかりへの復讐が始まります。彼女はゆかりに嫌がらせをして、最後に、ゆかりと口論となり勢い余ってゆかりがあやこを殺してしまいます。しかも、その様子がテープに収められていて、もう一人の主要人物(ゆかりに想いを寄せていた)が、あやこの親父に渡してしまう。そして、それを見た親父が何を思い、どう行動するか…というのが大まかな流れです。
上記にネタバレを書きましたが、多分監督が思うところは、ストーリーによる面白さよりも、撮影や演出などに想いを告げている。まず、この映画はあやこ殺人に絡む、3人の視点を順番に映し出し、3人の視点を通すことで事件を全貌がわかるというもの。僕が最近見た映画だと、ジョニー・トーの『奪命金』と同じ語り口ですね。
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■あやこの精神状態について
最初は、わざと最後まで「復讐」を貫き通したと思っていたんですが、舞台挨拶で聞いた話からすると、多分あやこは不器用な子だったんだろうと思う。結果的に「復讐」が成立したが、多分、父親とゆかりのことで精神状態はボロボロだったと思われる。その演出としては、「床に倒れて泣いている」だったり、最初の印象的なシーンに現れている。ダンボールに一つの穴を通して歩くこと。これは何となく「針の穴通して世界を見ている」こと、「俯瞰」的な見方を示唆しているのかなーと思う。まあ、あんなコトやっている状況なので、あやこの精神状態は怪しい。*1
■「隠す」行為について
この映画の面白いのが、基本的にロングショットで撮っているので、登場人物の顔とか、話し声などが少し見辛かったり聞き取り辛かったりします。監督が舞台挨拶でも語っていましたが、情報をなるべく「隠す」行為であるよう。ロングショットの長回しというのは絶妙な緊張感とホラー的な不安感を煽ります。そして尚かつ「隠す」演出によって、先に言った3人の視点を上手く使うことができていました。
監督はこの映画で現在の情報過多社会(例えば、TVを見ていても下にテロップがつくなど)に対しての批判というか、自分のスタイルを表明していたと思う。なるべく情報を少なく、「隠す」演出をしたと言ってしましたので、多分間違っていない。あとは「制限」。
「ドグマの十戒」の話がありました。この話の流れから、自分で自分に「制限」をかけることで、表現が広がるという考えからのようです。
この話は僕的にも非常に共感していて「制限」をかけることで「自由」が生まれると思っている。
人は暇さえあれば「自由」になりたいだのと言うけれど、実際に「自由」というのは、「束縛」やルールの上で生きていない限り存在しない。制限なき自由はないし、自由だけの世界なんてあっても何をすればいいのかわからなくなる。だから、初めに世界がありきで、その後で人がいる。そんな考え。本当に「自由」だけで生きていれる人がいれば、それはもう人ではないんではないかと。(なんて)
話が脱線したけれど、「隠す」行為とあと、「客観性」と言っておられました。固定カメラで撮られていたのも、なるべくカメラの意識を消す・隠すことで客観的に撮ろうとする行為とのことです。それほど、現場で起こっていることを伝えたそうな話をしていました。それと、化粧の話もありましたね。家にいるシーンで化粧をしているのは変だとあやこ役の女優さんが話されていて、監督と会って共感したとか。
■ラストの選択について
この映画の「事実」を解き明かすシーンは20分を超える長回しで撮られています。これは、あやこがゆかりに殺されるというシーンなのですが、実はこのシーンでも殺すシーンはダンボールの影で隠れていて見えません。ここまで「隠す」演出を徹底しているのです。なんとなく、防犯カメラ的な効果を出したかったように感じられます。それは人間の目を通さない「客観性」を求めているんですね。
そして、ビデオテープを見たあやこの親父は「自分の娘が殺された」事実を知る。それを警察に届けるにしても「自分がゆかりと不倫まがいな行為をしていた」事実が明るみになり、「ゆかりが捕まってしまう」ことになってしまいます。すごく究極の選択です。果たして何が正解なのだろうか?が、彼はわからなくなってしまいます。僕がこのシーンを見ていて思ったのはデビット・フィンチャーの『セブン』だった。苦渋の選択を迫られた彼がどんな行動に移るか?という面白さがありましたね。
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そして、選択は「ゆかりに会う」です。ぶっちゃけこのシーン会った瞬間幕を下ろしても良かったのではないか?と感じました。理由はここでも超ロングで撮られていて、何を話しているか聞き取りづらい。「誓って」のような単語は何となく聞こえました。ただ、ここでも「隠す」行為。結局ゆかりに会ったことで、あやこの「復讐」は終わります。もし、彼女が死ぬことも計算に入れているとしたら、マジで怖い。多分、本人はこのテープを親父に見せるだの言うつもりだったのでしょうけど、「死ぬ」ことでハッタリが、ハッタリでなくなってしまっている。彼女の父親が自ら選択し、父親とゆかりへの復讐が完成する。だから、会った瞬間で切っても映画が完成すると思った。
■最後に–『グランド・ブダペスト・ホテル』の対極
監督の20分以上の長回しのくだりで、映画のなかの「回想シーン」に違和感があると言っておられた。これは、いつも「誰か」の回想だから(すこし記憶曖昧ですが)と言っていた。多分、彼女の目指す「客観性」を追求すると、カメラをちょこんと置いてその場で演技させる。カメラは意図的ではなく、ただ観測するものでなければならない。だから「誰か」の回想シーンでは、物語が誰かの話によって成立するので「主観的」になる。それに違和感を感じるのだろう。ただ、聞いていると、これでは映画が「真実」がありきになってしまうのではないか?という疑念も抱いた。
何代も人によって語りつくされる話というのは、人によって話し方や内容、それと、受取手の解釈の仕方が変わる。それがもし真実ではなくても、彼ら・彼女らにとっては真実。それが魅力だと思う。*2だから、人を介して語られた『グランド・ブダペスト・ホテル』とは対極の価値観で作られた映画だと思った。僕は「人間味」感じる後者が好きだけど、こういった映画の出現も悪くないな〜と思う。すごく長い映画でぐったりするような人間ドラマでしたが、色々と映画のことを考えられて良かったです。終わります。以上
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