「美」は一瞬のものである。『グラスリップ』

夏アニメ一発目は、グラスリップを鑑賞。こちらは、今年の冬アニメ『凪のあすから』も好評だった「ピーエーワークス」ということで、安定したクオリティなのは間違いない。ということで、1話「花火」について。

「凪あす」は、地球全体が氷河期に入るかもしれないという大きいテーマと、海と陸の交流というファンタジーを取り入れていましたが、今作『グラスリップ』は、福井の小さな港町で起こる青春群像劇。第一話を見た感想としては、「TARI TARI」や「いろは」の男女関係の絡みが少ない作品群よりも、「凪あす」「ture tears」よりの恋愛が絡む青春群像劇なのではないか?と感じた。

true tears Blu-ray Box

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第一話で注目すべき演出は、「視線」と「美」だと思う。「視線」で物語追うと、人間関係がよく見てとれる。早々に上手く書いている方がいるので割愛(下記URL参照)しますが、「BがAを見ているときに、Cがその様子を見る」というショットを使用していた。面白かったのが、ある人が対象物を見ているときに、「止め絵」を使っていることで、よりそのシーンの印象を強めるという効果を狙っていた。完全に感になるけど、二話以降は「止め絵」は制限されるような気がしていて、一話の「視線」のやり取りがこの物語で重要なことだと印象付けたかったのではないか?と感じた。

失われた何か 「グラスリップ」は視線の先にある想い・人間模様を描く物語

「視線」の他に重要だと思ったのが「美」であり、第一話では「一瞬」や「儚さ」といった言葉に変換されると思う。まず「青春」というのは、人生が未熟な若者のある一定期間を指す。それは、人生一回きりしかないものであり、長い人生からしたら一瞬の出来事である。その「青春」の物語を、第一話では「美しい物」の描写で演出していた。

一番わかり易いものでいうと、「花火」であり、花火というのは「青春」のそのもの。一瞬の輝きの為に職人が丹誠込めて作り上げたもの。先に書いたように、「青春」は長い人生からしたら一瞬だけど、「花火」を見た記憶のように鮮明に覚えている。「花火」を見ているときに主人公である透子は、友だちのやなぎのネガティブな発言から「来年も再来年もずっと友だちなんだから」という発言をしている。それに対してやなぎは、「先のことなんて、わかるわけないじゃん」と、本人は意識してかしてないかわからないが、彼女の言葉は、第一話を観る限りこの作品のテーマである「青春」の「儚さ」のようなことを演出している言葉だったと思う。

その「儚さ」っていうのは、先ほどの「美しいもの」を捉える演出として「ビー玉」や「ガラス細工」を印象的に捉えることで演出していた。「ガラス」は壊さなければ半永久的に綺麗なものであるが、すぐ「割れて」しまうものである。そもそも「ガラス」は液体の性質を持った固体であり、ステンドグラスがよく例に出るが、ガラスは長い年月の中「変形」していく。確かに友人関係というのは「永遠」のようなもであるが、ちょっとしたことで壊れてしまったり、少しずつ変わっていく「儚さ」を感じさせる演出だったと思う。


作品からは脱線するが、この「美」とか「儚さ」は意外にも「ゾンビ映画」でも引用されていて『キャット・ピープル』で有名なジャック・ターナー監督の『私はゾンビと歩いた!』では、主人公の女性が海を見て「美しい」と言うが、ある男性が、「海の美しさの背後には、死がある」というような発言をしている。海が輝いているは、海の微生物が死んで、それが輝いているのであり、「美」というのは「死」に近いものであるという意味である。また、この感覚は、センチメンタルなことを言うと、今我々が見ている星の光は何光年前の光であり、もしかしたら今その星はなくなってしまっている可能性がある。これは新海誠の『ほしのこえ』だったり、庵野秀明トップをねらえ!』などの作品群でも物語として引用している。

トップをねらえ! Blu-ray Box

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少し長くなったが、青春群像劇を活かす為に、「美」を持っくるのは何ともピーエーワークスらしいし、安定のクオリティでした。やなぎが言っているように、この物語もこの後どうなるかわかりませんが、毎週楽しみですね。