舞台はスペースコロニーへ『スノーピアサー』※ネタバレあり

10年…20年…いや、45年ぶりの記録的な大雪に見舞われた東京の中、友人の結婚式だったのですけど、そりゃもう「記憶に残る結婚式」となった訳で、雪道を転ばないように「ズシズシ、ギシギシ」とゆっくり歩いたので凄く疲れた。進みたくても前に進めない。僕は雪に対して何故ここまで無力なのか?と考えていたところで『スノーピアサー』を見たのだけど、この映画は凄い。

■あらすじ
地球温暖化を防ぐべく世界中で散布された薬品CW-7により、氷河期が引き起こされてしまった2031年の地球。生き残ったわずかな人類は1台の列車に乗り込み、深い雪に覆われた極寒の大地を行くあてもなく移動していた。車両前方で一部の富裕層が環境変化以前と変わらぬ優雅な暮らしを送る一方、後方に押し込められて奴隷のような扱いを受ける人々の怒りは爆発寸前に。そんな中、カーティス(クリス・エヴァンス)という男が立ち上がり、仲間と共に富裕層から列車を奪おうと反乱を起こす。(yahoo映画より)

人類がいかに雪(自然)に対して無力だろうと、ポン・ジュノは列車を自分の野望の為に走らせる。その運動量はものすごい。凍り付いた大地を、轟音を轟かせ世界を何週も走らせる。時には雪の塊に突っ込み衝撃を受けようとも列車は走り続ける…
凍り付いてしまった世界では、もう「止まる」という選択肢はなく、常に列車を走らせなければ自らも凍り付きその自分たちの運動も止まってしまう。ただ、そこには希望が存在していなく、どんなに走らせても現状を維持する事しか出来ないのだ。
それは列車の中でも同じで現状維持の為には、彼らがそれぞれの役割を演じきらなければならない。誰かが列車を自分のものだけにしたいと支配しても、一人で生活する事は不可能。また、逆に人が多過ぎても秩序が乱れ崩壊してしまう。この列車は「世界」そのものを表現していて、定期的にこの世界で暴動が起きるように、列車でも暴動が必ず起きる。継続的に 列車を走らせる=「世界」を続ける 為に、全てに役割が与えられている。
そして、ポン・ジュノは、この走り続ける世界のなかで、主人公カーティスに「進むか」「戻るか」の二つの選択だけど与える。勿論、こうした事実を全て知らないカーティスにとっては「進む」他ない。「進む」選択をしたカーティスとその仲間の運動量が列車と同じく凄まじい。暴動勃発からドラム缶を走らせる快感。ずば抜けた身体能力を持つ男の走りと暴力。開けた扉の先に待つ精鋭部隊との対峙シーンのものすごい圧迫感。物語の前半では圧倒的な運動量で映画をグイグイと引っ張る。
特に、たいまつを持って後方車両から前方車両まで走ってそのまま戦闘に展開するあたりは「映画を見ている!」という快感を味わえた。

こうした運動量は列車内だけでは終わらず、「進む」を選択させたポン・ジュノは「この世界は継続させる事は出来ない。」「継続させることは無意味」だと言い放ちスペースロニーに場所を移し新たな映画を作りに行くのである。
この映画を見てから「何故ポン・ジュノはこんな映画撮ったのだろう?」と考えていたのだけど、次作の為のステップアップというか、土台作りのようなものだったんじゃないだろうか?「私の戦場はここじゃない」と…*1
この映画の運動量をそのまま次作へ繋げこれまでとは全く違った映画を作るに違いない。そんな淡い期待を添えるとともに、面白かったとまとめることにする。ああ、雪解け。

*1:たった一つの希望を求める為に、何度も繰り返すほむほむ(『魔法少女まどか☆マギカ』)のような映画にも感じられました