セカイ系から自らの成長へ『言の葉の庭』を観ました。※ネタバレあり

[あらすじ]
靴職人を志す15歳の高校生タカオは、雨が降るといつも学校をさぼって公園で靴のスケッチに熱中していた。そんなある日、彼は27歳のユキノと出会い、雨の日だけの再会を繰り返しながらお互いに少しずつ打ち解けていく。タカオは心のよりどころを失ってしまったユキノのために、彼女がもっと歩きたくなるような靴を作ろうと決心する。(yahoo映画より)

[感想]
他を寄せ付けない圧倒的に綺麗な絵。アニメーションで綺麗なものを追求していくとリアリティになっていくのが不思議だ。特に、新宿御苑の水面の描き方がまるで写真でも観ているかのように美しい。新海氏のキャリアのなかでもダントツに綺麗な絵がストーリーを牽引出来る水準まできている。
センチメンタリズムからの脱却と『言の葉の庭』への覚悟?… - つぶやきの延長線上 
前回の記事で、センチメンタリズムからの脱却を『星を追う子ども』で行い、アニメ的なものへの挑戦をしたと書かせて頂いたが、今回の『言の葉の庭』はアニメ的ものから更に進んだリアリズムを押し進めているように感じられた。『ほしのこえ』では宇宙、『雲のむこう、約束の場所』では平行世界、『秒速5センチメートル』では場所から時間へのセンチメンタリズムを投げ掛け、『星を追う子ども』ではアニメへの回帰、窓口を広げた世界観を描いてきたが、今回はもっとスケールダウン(新宿御苑)して、前半部分はまるで邪魔者を排除したかのような雨の公園でのひとときが描写される。
そして特質すべきものは、”雨”の存在だろう。新宿御苑という限られた場所と時間に+要素として、条件が必要なのだ。『秒速5センチメートル』は、場所から時間へのセンチメンタリズムだったが、今回は時間の追加要素として条件(天候)がストーリーの鍵なのである。前半部分のそうした限られた場所・時間・条件を観ると、またセンチメンタル3部作へ方向性が修正されたのかと思っていたら、中盤からこれまで新海氏のセカイ系を引っ張ってきたなかでは存在し得なかった”社会”が突如として立ちふさがる。
※ここで上手いのが、雨の描き分けが出来ていること、6月の梅雨の雨、彼らは頻繁に会う。7月の初夏はカラッとした雨、晴れ間が見えてきて会う頻度が少し減り、8月のゲリラ豪雨は、突如降られたかのように二人の出会いを演出する。

セカイ系としては存在し得ない”社会”は、ユキノの会社をサボる真実、タカオの夢と現実との狭間で揺れ動く気持ちとして描かれる。社会という第三者を描くことで、新海氏自らの新境地、いや、自らの人間的成長が表現されている部分だと感じ取れた。ただ、突如スコールのように揺れ動く主人公同士のエモーショナルな気持ちは、観客である僕を完璧に置いてけぼりにさせられ、最後は「ふざけんなばかやろー」と思ったりしてしまった。どうでもいいけど、高校生くらいに綺麗な先生の家に招かれたらすげー興奮するんだろうな…(タカオは育ちのせいか人間として成長しすぎなんだよ)ただ、タカオの家族にも向かない気持ちが、ユキノという同族へフラストレーションの矛先が向かってしまったのだろう。

面白いか面白くないかは別として、新海氏自らの成長が垣間みれた作品としては次作が気になる映画となった。今後は、絵だけで表現出来るようにストーリーを排除しまくったアニメーションが観たいな。
しかしながら今作で最大の不満は、花澤香菜の声が浮いてたことだろうな。