映画が見たけりゃバットを振れ!『ビリギャル』(テキトーな雑感)

どうやら黒沢清『ビリギャル』を絶賛していたらしい…といった話を数ヶ月前に聞いて、「うおおおお見なきゃ」とか思う前に記憶の片隅から消え去り、先日WOWOWで放送してたのでラッキーと思い録画してボチボチ鑑賞。『トウキョウソナタ』撮っているときにたまたま『ラルジャン』を見て「影響を受けた」と語っていたし、もし『クリーピー』公開前に『ビリギャル』見ていれば、影響受けてんじゃね(多分、見たのは撮影後だと思うけど)的な見っけモノあるかなと。

そこで『ビリギャル』だけど、感情の起伏には主に台詞がキーになって役者が行動していく…って流れは、いかにもテレビ的なステレオタイプな演出であまりグッとこなかった。だけど、120分といった短くもないランタイムのなか、勉強すれば勉強するほどギャルから清楚系に落ち着いていく有村架純がどんどん可愛くなっていくのは「怪物」以外の何物でもない存在感を出していてなかなか良い。『アイアムアヒーロー』で芝居しているんだか、ただ、そこにほっぽられたんだかって感じの有村架純だったけど、なるほどこういった人間の匂い(性の匂い)を全く感じさせることなく、そこにある(象徴)としての存在感(可愛さ)が備わっている。これは確かに黒沢清は好きそうだなと思えた。

肝心の内容だけど原作読んでないので知らないけど「学年ビリのギャルが1年で偏差値40上げて慶應大学に現役合格した話」以外にも、「家族」が物語を構成している。父親が自分の夢を息子に押し付けて、口答えする娘の親であることを放棄して母親に全てを任せる。学校でも上手くいかない娘に楽しいことやりなさいといった母親。それに従うように友人との遊びを覚え全く勉強をしない。母親だけが娘を信じて、父親との間に挟まってストレスが溜まっていく…。ネタはあれとか的確に言えないけど、よく聞くステレオタイプな家族の問題を物語の中核に置いている。映画で問題が起きている家族がいれば、大体はぶっ壊れるのが筋ってもので、有村架純の弟が「才能」に負けてヤンキーのパシリ使いになり、野球部を辞めて親と口論になる。ここでハッと思わせたのは母親であった。弟の父親へのプレッシャーを影ながら気がつき、父親の「夢」をなんとかつなぎとめていた母親であったが、息子がバットを振らなくなった代わりに、彼女がフルスイングしてバスのガラスを粉々に割ってしまう。

味園ユニバース』でのバットの存在は、シチュエーションもさながら極めて映画的で破壊と再生の役目を担っていたが、『ビリギャル』は破壊の用法。母親に対する父親の態度、父親のプライド何から何まで粉々にぶち壊す。映画で銃が撮られたならば銃は撃たなければならない*1といったように、映画でバットが出て来ればそりゃバットを振るだろうと渾身の一発だった。しかも、「あんたが振るんかい」と確かに考えてみれば振る人は彼女しかいないだろうけど*2、思わずハッとしてしまったシーンだった。父親が夢破れて、弟も「才能」に敗れながら、有村架純がガムシャラな「努力」で、希望を見せたといった流れはとても綺麗。しかし『味園ユニバース』も2015年だったし、「2015年バットの旅」だったんだなー。

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*1:それを外してきたのが例えばイーストウッドの『ホワイトハンター ブラックハート』(1990)

*2:昔、夫に怒鳴ったことがあると語ったのが前振りでもある。