オリヴィエ・アサイヤス『アクトレス〜女たちの舞台〜』を見た。

オリヴィエ・アサイヤスの新作アクトレス〜女たちの舞台〜』なんとかラストチャンスで駆け込みで見に行けた。なかなか面白かった。

アクトレス』は絶え間なく進んで行く残酷な時間の経過と、それに伴う人と人との関係性についての映画だった。女優のマリア(ジュエリット・ビノシュ)は、彼女が19歳のときに出演した『マローヤのヘビ』という舞台に別役として出演しないか?と誘われる。この『マローヤのヘビ』という戯曲が少々厄介なもので、40歳の会社経営者(役名:ヘレナ)が19歳の秘書(役名:シグリッド)と恋仲になったが、シグリッドが転職した後、ヘレナは自殺してしまう悲劇だ。

そしてマリアは会社経営者ではないが、大スターである。その秘書ヴァレンティン(クリステン・スチュワート)との関係性を考えると、マリアがオファーされた『マローヤのヘビ』と通じる「劇中劇」のような構成にされている。実際に、ヴァレンティンが彼氏のところに出掛けた後、窓から彼女を見送るマリアの顔は少なからず寂しそうな顔をしている。どこか、劇の設定と同じように感じでしまう。また、亡くなってしまった『マローヤのヘビ』の作者ヴィルヘルムに対しても好意を抱いていたようだし、若いころもてあそばれた相手のヘンリク・ヴァルト(ハンス・ツィッシュラー)が登場したり、彼女は過去との対峙を求められる。

ヴァレンティンと本読みをしたり、彼女との映画に対する意見の食い違いが発生し何度も衝突する。ひょっとすると『マローヤのヘビ』もこのように徐々に二人が衝突していくものだったのじゃないだろうか。だからヴァレンティンはマリアが19歳に演じたシグリッドのようにいなくなる。しかもミソなのが稽古中ではなく、マリアがヘビ*1を見つけて素の状態だったことだ。この映画はタイトルに「舞台」というキーワードが使われているが、舞台の本番シーンは出てこない。マリアが輝かしい演技をしているシーンは一切ないのだ。例えば冒頭の彼女がスピーチするシーンでも拍手で迎えられるが、そのまま暗転してしまう。彼女の見せ場をバッサリとカットしてしまう。そればかりか、ヴァレンティンが気に入っているジョアン(クロエ)の映画を鼻で笑い皮肉を言ったり、厭な女に見えるように仕向けている。この映画の「舞台」はあくまでも装置であって、彼女自身が生々しく裸にされる(実際裸になるし)現実を客観視しているのだ。

「劇中劇」といえば昨年『喰女』という映画があった。あの映画は劇と現実と妄想が徐々にごっちゃになっていく怖さがあったが、『アクトレス』は全てが現実のように突き刺さってくる怖さがある。マリアがあれほど嫌悪したヘレナを演じて何を感じたのか?そして彼女が19歳のころ演じたシグリッドを客観的な視点から見てどうかんじたのだろうか。ラストシーンを見ても別に絶望を描かないし、なんとなく過ぎ去っていく時間とそれに向き合う態度を描いている。全体的に過度すぎず見やすかったのかなと思った。

*1:低い雲が山から川へ下りてヘビのように見える現象