本当にヒーローになるの?『キック・アス ジャスティス・フォーエバー』※ネタバレあり

「ああ、クロエたんカワユイ」これがこの映画の全てだと思うけど、さらっと書きます。前作『キック・アス』は「何故みんなヒーローにならないの?」への回答であり、「素人(力のないもの)に責任はないの?」とスパイダーマンに挑戦状を叩き付け「ヒーローについて真面目に考えましたよ」っていう映画でした。ただ真面目だったら、あそこまでヒットしなかったですが、少女がギャングを殺しまくるっていう相応しくないアンバランスさ、コミカルで色彩豊かなアクション、少女が下ネタを言うと、とてもキャッチーな構造が絡みあってヒットに繋がったんだと思います。
そして、今回の『キック・アス ジャスティス・フォーエバー』は、「キックアスが本物のヒーロー目指す」と「ヒットガールがヒーローをやめる?」とそれぞれのヒーローのその後を描き、前作レッド・ミストだったクリスがマザー・ファッカーとして、父親の仇キックアスに復讐する構造で話が展開されます。

■あらすじ
キック・アスことデイヴ(アーロン・テイラー=ジョンソン)と、ヒット・ガールのミンディ(クロエ・グレース・モレッツ)は普通の日々を送っていた。ところがそんなある日、デイヴは元ギャングで運動家のスターズ・アンド・ストライプス大佐(ジム・キャリー)とスーパーヒーロー軍団“ジャスティス・フォーエバー”を結成。そこへ、レッド・ミスト(クリストファー・ミンツ=プラッセ)が父親を殺害された恨みを晴らそうと、刺客と共に乗り込んできて……。(yahoo映画より)

今作では素人ヒーローが街に溢れています。正直、ヒーローとして活躍しているのはほぼ皆無のようですが、なんとなく「キックアスかっけーじゃん。俺らもヒーローやろうぜ」的なノリが感じられます。素人ヒーローが当たり前になった世の中ですが、今作は「こちらが銃を構えたら、相手はミサイル持ってくる」的な話で、暴力で悪事を根絶しようとした結果、暴力が暴力を生んでしまって「殴られたら殴り返されるよ!本当にヒーローやる?覚悟あるの?」とヒーローたちに問いかけてくるのです。
それが、素人ヒーローたちへの問いですが、本物のヒーロー「ヒットガール」には「自分っていったいなんなの?ヒットガール?女の子?」とアイデンティティは何ぞや?と問いかけます。そこでクロエちゃんは男の子とデートしたり(結局してないけど)、ダンス部に入ったり、お洒落したり…と、「普通の女の子」を目指しますが、自分使命は「ヒットガールだ」と改めて自分の生き方に気づかされるんですね。

前作の一歩先を描いた作品になっているので、面白い要素は増えているかな〜と思っていたんですが、個人的には「まあ、そこそこ、ぼちぼち」な印象。
確かに、クロエちゃんが成長しているし、悪党も強くなっているので面白くなる要素があるけど、あまり上手くなかったかなと思う。ヒーロー映画っていうお面をかぶっているけど、中身はギャングの抗争ですので、「どんなアクションがあるかな〜」と楽しみでありましたが、前作のように「少女が悪者をやっつける」っていうアンバランスな面白さが今作には無い。ヒットガールは強くなっていると思うけど、大きくなった分スピード感がかなり落ちたし、状況に応じた戦闘が活かされていない。
前作の狭い廊下を使ったアクションシーンだったり、暗視スコープを使ったゲームチックな主観映像など、その状況下に置かれた戦闘が今作は殆どなかったのが残念だったところ。(一応壁使いは、相手が強いから成り立たなかったという風に描写されましたけど)それに、少し不満だったのが、悪党が芝刈り機使うシーンで「首飛ぶ?首?首!!」と煽りまくったけど、結局首が落ちるっていう観たかったシーンがなかったし、せめて首飛ばなくてもグチャグチャシーンは?見せないの?とやや冷めてしまった。僕はクロエちゃんが敵を殺戮しまくるシーンが好きなので、ノレなかった要素になっている。
それと、キックアスに対しては「本当にヒーロやる?覚悟あるの?」と現実を突きつけましたが、”暴力は暴力を生む”という構造は見方によって「ヒーローって本当に要るの?暴力だけじゃ解決できないよ?」という意味に取られてしまうのでは?とも感じた。そう言った意味合いで見ると最後のキックアスとヒットガールの選択に矛盾を感じるだろうね。まあ、「ヒーローもの」って頭に入れて見ればいいのかもしれないけど、見せ方で損しているなーと感じました。

まあ、とりあえず見るものに困ったら見ればいいし、軽い気持ちでポップコーン喰いながら見れば楽しめるんじゃないかな。前作よりはポップさがないので、ちょっとあれ?って思うかもしれませんが、冒頭書いたように「クロエたんがカワユイ!!」ので、是非スクリーンで!